知のフィールドワーク 40 (スキージャーナル2001.10月号)
“JAPAN”の魅力
“その選手”と知り合ったのは去年の11月はじめだった。私はオーストリアの氷河スキー場に旅行業の仕事で数日間滞在していた。“その選手”はシーズン前のトレーニングでオーストリアに来ていた。なぜか気があって、「帰国したら、飲もう!」ということになり、ケイタイやメールアドレスを交換した。帰国後、このコラムでも書いた<Mデモとマルティン・グガニックの衝突事故>という超ホットニュース第一報をまだオーストリアにいた“その選手”にメールで知らせた。

その後、約束通り東京で何回か食事をしたり飲んだりした。酒が強くて大好きな“その選手”とはよく深夜まで飲みながらスキー技術以外のスキーの話をした。そして、12月の半ば頃、何回目かの<深夜までの飲み会>の時なぜかナショナルチームのユニフォームの話題になった。「どの年のユニフォームが一番よかったかな」「アルベールビルオリンピックの年のキンキラキンのもよかったね。コンバインドチームが“金”をはじめてとって感動したしね。」「リレハンメルのもよかったけど、やっぱりなんてったって長野オリンピックのかな。」「あれは翌年の一般モデルもずいぶん売れたらしいね。」「今シーズンのスキーチームのはどうかな。東京のカラスの群れみたいな気もするけど、結構 雪上で集団だと目立つよね。」「選手は何着てても似合うけど役員はね−。そういう意味じゃ今年のは渋くて、オジサン役員が着てもおかしくないね。」こんな会話をしていた時、突然“その選手”がポツリと言った。「でも競技やってた時一度着た“JAPAN”のユニフォーム、もう一度着てみたいんだ!」

びっくりして表情をみるととても真剣で酒のせいだけじゃなく目が潤んでいるようにみえた。それは生まれてこのかた“JAPANモとか”日の丸“とかのついたウエアを着る能力も機会もなく、オリンピックの開会式で日本選手団が着る有名デザイナーの作った制服(ユニフォーム)も「ダセ−!」としか思ったことのなかった私にとって全く理解できない異次元の人の言葉だった。しかし“JAPANを目指す”その選手“をなぜかとても応援してあげたくなった。99/00シーズンがはじまり、中央研修会(車山高原)ではスキー連盟の国際渉外委員長として、ワールドカップジャンプ(白馬)・コンバインド(白馬/野沢温泉)・スノーボード(志賀高原)では組織委員会の渉外コーディネーターとして私はたくさんの“JAPAN”のユニフォームを着ている人達を見かけた。“カズキ”も“ミエ”も、“フネ”も“オギケン”もたとえ勝てなくてもけがをしていても立っているだけで“JAPANモがよく似合っていた。

一方“その選手”はデモでさえ時間をつくって自分のトレーニングをしているのに一般スキーヤーのキャンプでの指導の日々が続きとても焦っていた。しかし国際技選2連覇のマルティン・グガニックは「今回勝てたのはトレーニングをたくさんしたからだけじゃない。

一般の受講生をたくさん指導したからこそ自分の技術もあがったんだと思う。」と勝利者インタビューで言っていた。9月にはシドニーオリンピックがはじまる。残念ながら日本女子バレーボールチームと同じ結果になった“その選手”も今は「SKI」という厳しいけれど大好きな世界でがんばっている。

“JAPAN”の魅力とは一体何なのだろう。競技者にとっての「金メダルを目指す」「世界を目指す」という目標の第一段階というだけのものなのだろうか。それを目指す機会のカケラさえなかった私のようなものには永遠の謎である。しかし、結果がどうであれ「なにか」を目指してがんばっている選手はとても美しく、キラキラ輝いている。

田和夫
1953年生まれ。現在の日本のスキー界でもっともドイツ語に堪能で、その活動は単に「通訳」という範疇を超えている。言葉だけでなく、心も拾い上げる貴重にして希有なタレントの持主