知のフィールドワーク 42 (スキージャーナル2002.5月号)
コリアンスキーコネクション
2月20日(水)第7回国際スキー技術選手権大会の日本代表団及び大会役員はソウル・インチョン空港に到着した。ソウルはサッカーのワールドカップがいますぐはじまってもおかしくないような陽気で移動のバスのなかではTシャツでいられるくらい暖かかった。途中はどこに雪が本当にあるのか心配になるくらいだったが3時間後、開催地の大明(デムヤン)スキー場への最後の坂を登りきるといきなり別世界のような降雪機によるスキー場が現れた。日本のバブル期のスキー場施設にカナダあたりのリゾートのテーストをちょっと加えそれにディズニーランドに食われてしまったようなちょっと時代遅れかな風の不思議な施設が混在する建物にはいりKSIA(韓国スキー指導者連盟)の総務担当の人からルームキーが配られた。それを待つあいだロビーを見渡すとウイークデーだというのに若者(ちょっとおじさんっぽい言い方でした)のグループや家族連れでいっぱい!“
日本もこんな時代があったなー”なんて思っていると日本語通訳のリーくんが「デンサン スゴイデショー イマ カンコクデハ モノスゴイ スキートゴルフノ ブームナンデシュ」と自慢気に説明してくれた。

2月21日(木)韓国ギセンを見学し国際ギセンの準備状況を大会本部に見にいった。一応、野沢温泉でインタースキーがあった1995年からはじまった国際ギセンに常に関わった者として第7回が韓国で行われるにあたりKSIAの人達には「今回は全て皆様にお任せしますよ」と言ってはいたのだがやはり心配だったのだ。「コンピュータ表示は初回で予算的に難しければ手動表示でいいですよ!」と言っておいたがなんと他のスキー場から借り入れて競技で使うタイミングマシーンを使っていた。プログラム作成も「スタートリストとリザルトをコピーしてもらえば」と言っておいたがなんとIDカードも含めて野沢温泉大会と全く同じものが出来上がっていた。そういえば去年もその前の年も野沢温泉の大会の時に韓国から視察に来てたっけ。韓国恐るべし!これが日本に追いつけ追い越せの実態なのか。そしてオム会長からは「やっぱり賞金もだすことにしました。」と言われびっくり。

そして夕方に開会式、これがまた国歌が流れたり、挨拶が長かったりの古いタイプの開会式で“オープニングセレモニー”的ではなかったがなかなか立派だった。ここでもびっくり。しかし、その後の選手会で事態は一転、ゼッケンのドローまでは野沢方式をしっかり“学習”した内容で問題なかったのだがいきなりここで進行をしていた競技委員長が何かモソモソっと韓国語でしゃべるとみんな立ち上がった。「あれ?終わっちゃうのジャッジ基準の説明は?」と思っている間に“ミーティング イズ クローズド”であった。そして役員、選手ともその後予定されていたレセプションへ。

一応、失礼なのでパーティの席に着いたがTD(技術代表)で来ていたSAJ教育本部指導委員長のHさんと「まずいなー、どうしよう。」ということになり野沢温泉のスキースクールにTelして去年のジャッジ基準を取り寄せようとしたが担当がつかまらずダメ。しかたがないのでHさんが(飲む前に)部屋で急遽 第7回大会のジャッジ基準を作ることになった。さすが、Hさん 彼の頭の中には完全に大会のジャッジ基準がはいっているのか、20分くらいすると部屋から戻って「ニッキ−(私の外国人からの愛称、但しHさんは私を割合こう呼ぶ)できたよ!さー飲みに行こ!」と言って手書きの和文のジャッジ基準を手渡した。Hさんと一旦はKSA(韓国スキー連盟)の副会長以下来賓のいる二次会に加わったがグラスにウイスキーとビールを半々入れて一気飲みするという“韓国式友好を深める儀式”についてゆけず大会本部へ顔を出してみた。ここではまだスタッフが明日の準備をしていた。そこには私の“守備範囲”であるワールドカップのレースオフィスや色々な大会の運営本部と同じ光景であった。全部公用語の英語にしようと思ったが渉外スタッフと思われる人がいないのでとりあえずちょうどいあわせたリーくんに韓国語にするよう指示、そして韓国の選手には韓国訳をコピーして、日本の選手には和文オリジナルをコピーし各選手の部屋に配布するよう指示(これはKSIA事務局のキムさんにお願いした。彼女はシュリに出てきそうな女スパイ風で仕事もよくできるのだが残念ながら韓国語しか出来ないため指示内容を理解してもらうのに時間がかかった)。完全お任せのはずがやはりいつもの“現場”にいくといきなり渉外担当チーフになってしまったのだった。

2月22日―23日 大会も順調でギャラリーもスキースクール関係者で熱狂的な応援を している人たちがゴールエリアに集まり、なにをやっているのかわからない一般スキーヤーが時々立ち止まって覗いているといった感じのゴールエリアだった。DJも余計な解説をせずにプロレス風に選手の名前を叫ぶだけなのだがかえって韓国風でよかった。選手のレベルも年々あがり2年前、野沢の不整地でほとんどの選手が“全滅”だったが今回は斜面の難易度が低かったせいもあるせよ着実に力をつけてきている。日本のデモの滑りをかなり学習しているが大会の制作物同様ちょっとコピー過ぎるのが気になるので今後は韓国風オリジナルの味を出して漬物からキムチの滑りになることを期待したい。

23日大会も終わり二人だけ参加したオーストリアの選手と地下のファーストフードでハンバーガーを食べた。二人はチーズバーガーを注文したが私は“ブルゴギバーガー”というのを注文してみた。焼肉か鍋で出てくる韓国風の(今、日本では“不足”している)スペシャルバーガーを期待したのだが出てきたのは普通のハンバーガーだった。 今回、韓国がスキーにおいて様々なことを“学習”しているのを実感した。1968年はじめて日本から韓国にSAJの現専務理事のMさんが指導にいった当時は数千人しかいなかった韓国のスキーヤーはいまでは100万人を突破している。そして、これからはブルゴギバーガーが普通のハンバーガーであることを学習したように私たちもスキーにおいて韓国スキーの実態ややり方を学習できるような気がする。アジアでスキーを盛んにしていくには日本と韓国の役割は大きい。級別テストや技術選といったオリンピックで話題になったジャッジング種目が両国とも国民性から割合に好きで盛んだ。こういった共通点からも今後更により深い交流ができるような気がする。

KSIAや韓国のスキースクールから日本の技術選やデモ選に視察団がやってくる。日本のスキー界も「よくない、よくない。」といっていてもなにもよくはならない。少なくとも、現在でもこういった韓国のスキーに対する“熱意”は学習するべきである。

田和夫
1953年生まれ。現在の日本のスキー界でもっともドイツ語に堪能で、その活動は単に「通訳」という範疇を超えている。言葉だけでなく、心も拾い上げる貴重にして希有なタレントの持主