知のフィールドワーク 25 (スキージャーナル1997.9月号)
ハイニ・ベルグミューラーの情熱
2年前の3月、長野県スキー連盟のコーチであるぺーター・プロティンガーが突然、長野オリンピックに向けての”提言”をした。
「日本の選手は技術的には世界のトップとの差はあまりない。マテリアルのセレクトもそれほど間違っていないと思う。戦術や精神力も少しずつ強化されている。一番遅れているのが体力(コンディション)だ!オレがよく知っているハイニ・ベルグミューラーってヤツはオーストリアのナショナルチームのコンディション・コーチだったんだ。”オリンピック支援施設”、いわゆるナショナル・トレーニングセンターの所長もやっているし、コイツと絶対契約するべきだ!」。

もちろん、このぺーターの独断的かつ大胆な言葉に対し、県連内では「ぺーターさん以外にどうしてもうひとり外国人のコーチが必要なの?」という意見もあった。しかし「オリンピックに向けての強化のためなら何でもトライしてみるべきだ」という現場コーチたちの勢いが強く、数カ月後にはベルグミューラーは長野県連トップチームのコーチとなった。その後、長野出身の平沢岳選手や、木村公宣選手が体力面でのプライベートコーチとして相談に行くようになり、昨年のオフシーズンから正式にアルペン・ナショナルチームのコンディションコーチとなった。

私と同じ歳のハインリッヒ(ハイニ)は見た目はがっちりした体型でコワそうに見えるが、とても繊細でいつもニコニコしていって物静かだ。2年ちょっと前にはじめて成田空港で会って以来、(実は93年の雫石世界選手権大会にもオーストリアチームの一員として来日。渉外デスクにいた私を知っていたそうだ)、ハイニからは私の語学力ではほとんど理解できないスポーツ医学の分野に関する専門用語オンリーのむずかしい話をずいぶん聞かされた。しかし、その中には今までの常識をひっくり返されるような面白い話もたくさんあった。
「選手に”学校まで何で行くの?”って聞いたら胸を張って”もちろん自転車です!”って答が返ってきた。それは通学の手段であるだけで、まったくトレーニングにはなってはいない。それならバスで早く学校に行って校庭で正しい重荷と計測に基づいた自転車のトレーニングをしたほうがいい!」。
「大会前は風呂に入るな!前日はシャワーもよくない。日本人は風呂や温泉が大好きだけど、リラックスするのは大会の後。レースに向かってはもっとテンションを高めていくように意識しないといけない」。
「この前、高校の体育の授業でベースボール(どうやらソフトボールらしい)のゲームを見た。あれはいったい何の意味があるんだ。日本の体育の授業では”運動”はしないのか?」。
「オーストリアの選手は大会直前や大会当日のスタート前はほとんど口をきかないのに、宿に戻ってくると、冗談ばっかり言ってバカ騒ぎしているのが多い。ところが日本の選手は宿ではみんなおとなしくしているのに、大会直前のレースを想定したトレーニングで、スタートにいるとき、仲良く雑談している。スキーという個人競技の本当の意味をもっと理解する必要がある」。
「アルペンスキーを”瞬発力”の競技だと思い込んでいて、筋肉を少しでも動かすようなトレーニングをさせようとしている。でも、実際速く”動いている”のはスキーであって筋肉じゃないんだ。いくら筋肉を速く動かしてもスキーは速く走らない」。
「筋肉トレーニングっていうと、すぐみんなマシンを使うと思っている。でもどんなマシンもスキーに必要な筋肉だけをつけることはできず、必ず必要ない筋肉までつけてしまう。そして余計な部分の筋肉がついてしまうとスムーズなスキー操作ができなくなる」。
「セストリエールの世界選手権のトンバの滑りを見て”あの身体じゃトンバはもう勝てない”ってみんな言っていた。でもあの身体で3位になれるのはトンバしかいない」。

今年の5月、ザルツブルグ州ヴェルフェンの彼の家の向い側にある、オーストリアで唯一、ミシュランの星をもらうことになったレストランでごちそうになった。赤ワインを2本ほどあけたところでハイニが突然しんみりした表情で「ニッキー!(私のヨーロッパでの愛称)オレは”日本人病”にっかかったみたいだ。2年間の付き合いだけど、どんどん日本人が好きになっていく。日本のコーチも選手もみんな一生懸命がんばっている。スキー大国オーストリアにはない魅力を持っている人がたくさんいる。だから近い将来きっとすごい成績が出るような気がする。もしかしたら長野オリンピックでネ」と言ってニッコリ笑った。そして6月に来日したとき、ハイニは梅雨の蒸し暑い日本で目の下に汗をかきながら、キミノブの上肢のCTまで入った『選手たちの全データ』が収納された重いバッグを大事そうに持ち歩いていた。

彼の日本レーサーに対する情熱が実を結び、彼の予感が来年の2月に的中することを期待したい。

田和夫
1953年生まれ。現在の日本のスキー界でもっともドイツ語に堪能で、その活動は単に「通訳」という範疇を超えている。言葉だけでなく、心も拾い上げる貴重にして希有なタレントの持主