知のフィールドワーク 24 (スキージャーナル1997.8月号)
フェアウェル・ナイト
3月23日(日)、野沢温泉スキー場で開催された第2回国際スキースキー技術選手権大会は無事終了した。表彰式の後、上位選手達が賞金を取りに大会運営本部のスキーセンター2Fにやってきた。記者会見の準備をしていた私は、マルティン・グガニックに「ニッキー(私のヨーロッパでの愛称)!今日、リッチーの誕生パーティを焼肉屋でやるんだ。だいたいは声かけたけど、ベルントとマテヤに言っておいてくれる?」と言われた。もちろん誕生日というのは口実で「大会も終わって思いっきり飲みたい!」という本音はわかっていたが、優勝者インタビューでやってきたベルント・グレーバーに言うと「モンダイナイ!ワッカリマシタ」と例の日本語で答えた。マテヤ・スウェートにも言うと「ンー、わからないけど一緒の宿にいる他の選手やR社の人にも聞いてみる、ところでそれってどこ?」と聞かれたので『焼肉D』と大きく紙に書いて渡した。

午後7時過ぎ、大会本部宿舎のS旅館で外国人ジャッジマンと一緒に夕食をする予定だったが「ちょっと用があるから・・」と言って抜け出してまずは民宿Sへ。ここでは泊まっているというより住んでいるというほうが正しいくらい長いこと滞在中の長野県スキー連盟強化コーチのぺーター・プロティンガーおじさんと今後のチームの予定などをちょっと打ち合わせ。その後、久しぶりに「Sそば」のおじいちゃんのところに行き、いつもの通りそばと白ワイン1本ごちそうになる(なぜか私が行くと日本酒でなくドイツワインがでてくる)。そいて8時頃、集合場所『焼肉D』へ。まだそこには国際技術選4位、でも今年も最後の急斜面・不整地・ショートターンでは魅せてくれた”幹事”のマルィンとD社の関係者数人しかいなかった。しかし、しばらくすると、6位となった人工ウェーブの種目でなかなか頑張ったパスカル・ハスラー、そして新人ながら3位にはいり、優勝者ベルントと最後まで競い合ったノーベルト・ガイスラーの二人がやってきた。大会が終われば、日本の体育会よりきびしいブンデススポーツハイムの上下間系が大爆発。初来日のノーベルトは大先輩のマルティンやパスカルの”指導”をひたすら受けていた。イッキ飲みはもちろん焼肉もノーマル系のカルビやロースは食べさせてもらえず、アブノーマル系のハツ、ミノ、ホルモンと「これが食べれなきゃ、日本に長くいられないヨ!」と言われて素直に食べて飲んでいた。そのうちに今日はあまり成績のよくなかったエゴン・ヒールツェッガーも義理堅くいつものでかい声であらわれた。そして2位になった急斜面・整地・ロングターンでは、なめらかな彼らしい滑りを魅せてくれた、誕生日の主役のはずのリッチー・ベルガーも登場。ただそのころには予想通り飲み食いっが忙しくてあまり誕生パーティという感じではなかったが・・。そして最後には2連覇のベルントも登場。しかしもう既にそこにいる大会出場者のほとんどが2日間の大会の話などまったく忘れて日本のこと、オーストリアのことを次から次へと話しているだけだった。このころ、最初からいてかなり酔っているはずのマルティンがなぜか「マテヤはどうした、マテヤはどうした!」と言い出して何度も彼女のいる宿へ電話をかけ出した。しかし、「もう少ししたら行くから」と2、3回言われたのに、まったく来る気配はなく、誰かが「オーストリア男がこれだけいたら、いくらマテヤでも恐くて来れないよ」と言った。その直後、焼肉屋の煙りのたち込める中”女王”マテヤが大会参加者のジェローム・ノビアンとR社と3人でひょっこり現れた。そして予想に反してノビアンとR社の男性はオーストリア人の酔っぱらった6人と日本人の少し酔った男がほんの少しというこの異常な状況になじめなかったと見えて10分くらいすると帰っていったが、大会前まったくトレーニングできなかったというちょっと去年より太めの、それでもまた勝ってしまったマテヤはそれから1時間以上も『焼肉D』に居残った。

そして全員揃ったところで最高潮に達し、相変わらずの新人ノーベルトは最後に注文した冷麺にマルティンとパスカルにさらにキムチをたっぷり入れられて「これが食えなきゃ、日本にいる資格がないぞ」と脅かされて、真っ赤に染まったスープを最後まで飲もうとビールを何杯もおかわりしながら、必死になっていた。それまでおとなしかったリッチーはトイレから帰ってくると、いつの間にかカウンターのところに陣取ってパスカルに会いにきたはずのスキースクールの女の子やカウンターで仕事をしていたはずのこの店では数少ない日本人女性全員をはべらして”リッチー・ワールド”に入っていた。その横でなぜかエゴンが厨房から出刃包丁を持ち出してフラフラ振り回しながら大声でベルントと話している。この光景は何人かと日本人とマテヤを除けば、ブンデススポーツハイム・サンクリストフでの国歌検定スキー教師養成コースの最終試験が終わった日の夜とほとんど同じような気がする。

そしてこの夜、最高のパフォーマンスは「先に帰るよ!」と言ったベルントの革靴(なぜかアメリカ人と日本人はジーンスにスニーカーを履くが、ヨーロピアンは革靴なのだ)をマルティンが無理矢理取り上げて生ビールをたっぷり注いだ。そして「これが飲めなきゃ、ブンデススポーツハイムの教師失格だ!」と言ってノーベルトに渡し、二人でイッキ飲みをして一堂大拍手!!ベルントも「困ったもんだ」という顔はしているが、怒るでもなく、この究極の”ブンデス流”に苦笑いをしていた。3月23日が終わるころ、国際技術選の”フェアウェル・ナイト”は無事終了した。

外にでると、サンンクリストフではこの時期当たり前だが、野沢温泉では珍しい雪・雪・雪。吹雪だった。少し前までは飲んで食べて騒いでうつろな目になっていたのに、この季節外れの雪を見た瞬間”彼ら”全員の目がキラッと光ったような気がした。
また、来シーズンもすごい滑りをたくさん見せて、また、終わったら思いっきりハメをはずしてほしい・・・・。

田和夫
1953年生まれ。現在の日本のスキー界でもっともドイツ語に堪能で、その活動は単に「通訳」という範疇を超えている。言葉だけでなく、心も拾い上げる貴重にして希有なタレントの持主