知のフィールドワーク 19 (スキージャーナル1996.8月号) |
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”ステちゃん”から”グルグル”へ |
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今年も”スキージャーナル・オレゴンキャンプ”到着日の夜、サンリバー・リゾート内の中華料理屋に、スキーヤー、テスター、カメラマン、スタッフが集まった。”スター”の雰囲気をギラギラさせたテスターのひとり、ユーレ・コシール(去年と同じ)は彼女と大きなテーブルの真中にいた。オーストリアのデモ3名、ベルント、グッギー、リッチーはレッドモンド空港最終便で到着のためまだいない。そしてもうひいとり、テスターとして参加予定のグリュニンゲンの姿もなかった。 「カナダのバンクーバーから3日ほどかけて奥さんと子供と3人で車で来るって言ってたから、まだ部屋にいるのかな」と、仕事柄どうしてもまず”外国人チェック”をしてしまう。しかし、そのうち食べて、飲んで、明日の打ち合わせをしているうちに、すっかり彼らのことは意識の中から薄れてしまった。そんな宴タケナワの状態の絶頂期、客のほとんどが日本人(+スロヴェニア人ふたり)という、その中華屋にフラッと音もなく現われた男がいた。茶色のバックスキンの革ジャンにジーンズという地元にいくらでもいそうなオジサン風の男は、キョロキョロとあたりを見回すと、われわれのテーブルに静かに近づいてきた。それが昨シーズンのワールドカップGSチャンピョン、ミカエル・フォン・グリュニンゲンだった!! 翌日、マウント・バチェラースキー場への運転手として私は、コシールとグリュニンゲンのふたりを彼らのコテージへ迎えに行った。まず、コシールがアスリートっぽい軽快な足取りで「グッドモーニング」とマイケル・ジョーダン的低音で明るく登場。手際よくスキーとバッグをバッグシートに積み込んだ。そしてほぼ同時にグリュニンゲンもスイス・ナショナルチームのウエアで、待ち合わせ時間ちょうどに登場。小さな声で「グーテ・モーゲン」と、ちょっぴりスイス・ジャーマン風に挨拶すると、まずバッグを積み、そしてスキーをゆっくり肩から降ろした。それからスキーを1台積み終わるのに、およそ15秒ほどはかかったのではないだろうか。まるで重要文化財でも扱うかのようにゆっくりと、そっと、そして両手でしっかりと、スキーが少しでも走行中にずれないように、もちろん傷なんかつかないように、充分すぎる配慮をして、全神経を集中させて積み込んだ。その仕事を見て、何年か前、サンモリッツでステンマルクの撮影に同行したときのことを思い出した。やはり、撮影初日、もう1シーズン使ってガタガタになっているスキーを、慎重に、やさしく、いたわるようにして、愛車サーブに積み込んだのだった。 そして雪上でもグリュニンゲンは本当にすごかったらしい。ユーレ・コシールのパワースキーに対して、フィーリングスキー。彼のシュプールは、まったくズレた形跡がなかったそうだ。一番下のリフト乗り場横に設営した、テスターがスキーを交換し、テストの結果をまとめる、”スキーテスト基地”にいた私は、グリュニンゲンのすっごい滑りというのを目撃していない。理由はそのテスト基地で、外国人テスターがマイクロテープに録音した滑走直後のコメントを、すぐ和訳することが私のおもな仕事であったこと、そしておそらくこのオレゴンキャンプの全参加のメンバーの中で、ファッション・カメラマンの次にスキーが下手であると思われる私は、スキーもブーツも持っていなかったため、彼らのすばらしい滑りをまったく見ることができなかったのである。しかし、”グル”じゃ教祖みたいだからということで”グルグル”というニックネームをカメラマンたちに付けられた彼のすごさは充分にわかった。というのはわれわれのいる基地に”着陸”するとき、他のテスターは減速して次のテストスキーのバインディング調整をする”ピット”に直行するのだが、グルグルはなぜか最後に大きな右ターンをして、ほぼわれわれの真横から”侵入”してくる。そこにはテストデータを書くテーブルがふたつとスタッフのスキーやディバッグなどが雪の上に点々と置かれているにもかかわらず、わざわざその隙間を縫って滑ってくるのだ。そしてなんと、”ピットイン”するまでほとんどスピードを落とさないのだ! スキーテクニックのうまさ以外にもステンマルクとグリュニンゲンの共通点はいくつか挙げられる。雪上でスキーを履く時、”バタンバタン、カチッカチッ”と音を全くさせないこと。そして膝を曲げて雪の上にそっとスキーを置き、ゆっくりと静かにスキーブーツのヒールに力を加えること。いつの間にか音もたてずにすぐ横に来てドキッとさせられること。身体の中にスウオッチというよりオメガの時計が内蔵されているかのように、時間に正確であること。いつも物静かで気難しい顔をしているが、一日に何回かだけ見せてくれる笑顔がすばらしいこと…。 アルベルト・トンバからユーレ・コシールへ、そしてステちゃんからグルグルへ。そんなことを考えていると、グリュニンゲンは眉間にしわをよせてテープを止め、黙ったまま30秒ほど考えた後、最後のまとめのコメントをして「ニヒト・シュレヒト(悪くない)」と小さな声でたった一言言い残したカセットをそっとテーブルの上に置いて、次のテストスキーの待つ”ピット”へ向かった。もちろんテーブルに置かれたカセットは、私が他のテスターと間違えないようにという配慮から「Michael von GRUENIGEN」という文字が張られているほうを上にして置かれていた。この名前が今年の10月から始まる96/97シーズンにどれだけ「Ingemar STENMARK」という名前に戦績の上で近づくのが、今からとても楽しみである。 ![]() |
田和夫 1953年生まれ。現在の日本のスキー界でもっともドイツ語に堪能で、その活動は単に「通訳」という範疇を超えている。言葉だけでなく、心も拾い上げる貴重にして希有なタレントの持主 |