知のフィールドワーク 18 (スキージャーナル1996.4月号)
ワールドカップ・サーカス・イン白馬
2月25日(日)14:00 ベルンハルト・ルッシ(SUI)は、松本に向かう列車の窓から、心配そうに遠くに見えてきた北アルプスを見つめていた。
「雪の状態はどうかな。気温は上がっているみたいだからコースの硬さが心配だ。ルッシ・ジャンプの角度はどうだろう……。松本に着いたらマル(丸山仁也競技委員長)にすぐ連絡してみてくれ。少しでも早くコースの仕上がり具合が知りたいんだ。」
ほんの少し前までガラガラに開いている座席を四つ使って12時間のフライトで時差ぼけになっている身体を横にして熟睡していた札幌オリンピック金メダリストは、いきなり長野オリンピック・ダウンヒルコース設計者の顔になっていた。

2月29日(木)2:30 ディディエ・ビヌアン(FRA)は、深夜だというのに、顔が凍りそうに寒いワックスルームの前にいた。2月26日深夜にいくつかのチームが到着し、27日も、日付けが28日に変わる頃、残りの100名近い選手団が到着した。しかし、選手はほぼ全員揃ったのだが、荷物がこなかった。シェラ・ネヴァタの世界選手権の途中で送った荷物が、マラガ〜フランクフルト間で、小型機しか用意されていなかったため、積み残されてしまったのだ。そして私にとっても、3日目の”深夜出勤”になった。この日、やっと選手たちのスキーも含めた大半の荷物が到着したのだ。しかし、全部で81個あった荷物の中に、ノルウェーチームのバッグ数個とフランスチームのSG用のスキー、そしてコーチの荷物がまだ着かなかった。次々に各チームは、深夜のワックスルームの前のスペースから自分達の荷物を持ち帰っていき、ノルウェーチームも「明朝、誰の荷物で、どんな色と形なのか確認してみる」と言って帰っていった。旅行の仕事もやっているので、ロストバゲージの際の対処は心得ている私は、このフランスチームコーチに「ところでバッグのほうはあなたのものらしいけど、どんな形と色なんですか?」と聞くと、彼は「ひとつはブルーのサムソナイト。もうひとつは黒のソフトバッグ、でも私のものなんかどうでもいいんだ。それより問題はイアン・ピカールたち3選手のSG用のスキーケースだよ。これを日曜のレースまでになんとか間に合うようにしてほしい」ときっぱりした口調で言った。当然といえば当然だが、彼らにとって、自分の”物”よりレース用のスキーのほうがずっと大切なのだ。幸い日曜のSGのレースでは、ピカール選手たちの足には彼らのスキーがついていたようだが…。

3月3日(日)18:00 ヤン・レスキネン(FIN)は、コーチふたり、白馬から成田へ向かう列車の最後尾9号車の一番後ろの席でニコニコしながら目の前に繰り広げられる信じられないような光景を眺めていた。この日のレースで1位に300本、2位に200本、3位に100本の缶ビールが副賞としてスポンサーからプレゼントされた。当然、成田へ向かう列車でこの副賞がどうなるかは予想できた。1位のルンガルディアのいるイタリアは得意の歌も出ていたが、イタリア人にしては割合おとなしくしているようだった。3位のクナウスのオーストリアも100本という数は、大所帯のオーストリアにとっては大した量ではなかったのか、あまり大きな騒ぎにはならなかった。なんと言っても一番すごかったのが、9号車。ノルウェー、アメリカ、カナダ、そしてレスキネンのフィンランドがいた。この車両は水浸し、いやビール浸しでほぼプロ野球の祝勝会に近い状態だった。2位スコールダ−ルの200本の缶ビールに白馬錦が混ざって大騒ぎ。まさに”無法地帯”となっていた。しかし良く見ると、ノルウェーチームは身体はビショビショの選手がほとんどだが、後で「ボクたち、浴びていたけど、口からはあまり飲んでいないよ!」と言うように、あまり酔っている様子はない。ひどいのは、カナダとアメリカの選手だった。不思議に思って7号車にいるオーストリアのコーチに聞いてみた。「ニッキ−(私の海外での愛称)!それは当然だよ。おれたちも含め、ノルウェーチームもまだ最終戦のリレハンメルが残っている。おれたちが大騒ぎするのは、その後なのさ。でもカナダやアメリカの連中のほとんどは白馬が今シーズン最後のレース。冬中、転戦しているワールカップ・サーカスが終わる時の気持ちは何とも言えないのさ。彼らにとっては今日がちょうどその日なんだ。だか車掌にもうまく説明して謝っておいてくれよ。」

胸に国旗がついている白いトレーナーにジャージ姿で、まだあどけない顔をしたレスキネンはワールドカップ・サーカスに加わった経験のひとつとして、このシーズン最後の”儀式”を成田駅に着くまで楽しそうに眺めていた。そして口からはビールも日本酒も飲まなかったノルウェーチームは、地元リレハンメルの最終戦で大活躍して、今頃は、口からたっぷりビールを飲んでいることだろう。

3月4日(月)9:30 ぺータ−・ルンガルディア(ITA)は、成田のホテルから空港へ向かうバスを待っている間、自分に住所を紙切れに書いて渡した。「OK、ルンギー(ルンガルディアの愛称)、昨日のレースのVTRをダビングしてパル変換したら、今度オーストリアに行くとき持っていって、この住所に送るよ。最後の勝利者インタビューも入っているだろうし、いい記念になると思うよ」と言うと、彼は「うん、家族にはそれも見せたいんだけど、大切なのはレースの部分だよ。チームでオリンピックコースの分析もしっかりしておかなくちゃいけないからね。」と言ってにっこり笑った。彼らにとってルッシの設計したこのコースを、オリンピックまでに滑るのは、今回が最初で最後のチャンスだった。ダウンヒルレースが悪天候のため中止になったのは残念だが、快晴だった2月29日のトレーニングランと3月3日、12:30のスーパーGで彼らのオリンピックに向けての第一歩が始まったのだ。成田空港でワールドカップレーサーを見つけるのは簡単だ。Tシャツにトレーニングウエアにサンダルかトレーニングシューズという服装ですぐわかる。しかし、何といっても彼らの肩には大抵、シェルもインナーもボロボロになった愛用のスキーブーツが”一番大切な手荷物”としてぶら下げてある。これが目印だ。

この日の成田空港にも、次のレースや故郷に向けて、ブーツを肩にかけて出発ゲートに向かうレーサーたちの姿があった。そしてブーツをぶら下げた彼らの最後の言葉は、「2年後またNAGANOで会おう」だった。

田和夫
1953年生まれ。現在の日本のスキー界でもっともドイツ語に堪能で、その活動は単に「通訳」という範疇を超えている。言葉だけでなく、心も拾い上げる貴重にして希有なタレントの持主