| 知のフィールドワーク 43 (スキージャーナル2002.10月号) |
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| 春から夏そして冬へ |
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| 4月 パキスタンスキー連盟のショドリ・アハマド氏と品川から東京駅へタクシーで向かっていた。彼は第2回アジアスキー指導者セミナーに参加するため来日した。他の国の参加者より1日遅れて到着したため、東京で1泊してから会場の野沢温泉スキー場へ。 東京の街は例年ならいまごろが満開の桜もすっかり散ってしまい、ウイークディの午前にしては以外に静かだった。軍事空港の管制官であるアハマド氏はアジアっぽい訛りではあったが流暢な英語で自国のスキー事情をしゃべりまくっていた。「パキスタンにもやっと一般の人が行けるスキー場ができるんだ。だからいよいよスキー指導のことを考えなくっちゃならない。日本はいいよな!この東京の人口くらいのスキーヤーがいるんだろ、指導体系もしっかりしてるって聞いてるし、だから今回は日本でたくさんいろいろなことを吸収して帰るんだ。」こう熱く語る彼の言葉に“スキー不況”だとか“スキー離れ”なんていう日本の現状を話すことはできなかった。そして、これから“スキー元年”を迎える国の前のめりしそうなくらい前向きな姿勢をみて、「ただ、分別臭く日本のスキー界を憂いていても結局は何にもならないんだ。」と思った。そして、今はインド・パキスタン紛争の影響を受けずにアハメド氏の情熱が少しずつでも実現しつつあることを祈りたい。 5月 弊社が主宰しているスキースクールのスタッフと西麻布で会って食事をした。久しぶりにたくさん食べてそして飲んだ。やはり最後はスキーの話になり「でも、大変だよね、冬は同じスキー教師やってても地元の人じゃないと夏は仕事に困っちゃうよね、やっぱり派遣会社のお世話になるの?いくら正社員より派遣の時代でも半年だけでまたスキー場っていうのはつらいよね。それでもどうして毎年がんばれるんだろう?」と雇用者のくせに無責任で身勝手な質問をしてしまった。すると“そのスキー教師”はちょっと考えてからグラスの冷酒を飲みほしてこう言った。 「スキー教師になったばかりのころはただ自分がもっとうまくなりたかっただけでした。だから教える機会があれば少しでも多く滑れるから・・と思ってた。それがスキーをどうしても続けたいというモチベーションでした。今でもそういう気持ちはあるんですけど。でも最近、人に教えるってことがとってもおもしろくなってきたんです。まだまだ、指導力はないし、技術もないから未熟なとこばっかりですけど。一生懸命教えて、特にジュニアとか高齢者の人が“ちょっぴりスキーって楽しくなったよ!”とか“絶対できないと思っていたのにちょっときっかけがつかめたみたいで楽しくなりました、また来ます!“って言われるのがすごくうれしいんです。」 それを聞いて「ある程度自分を犠牲にしてスキーを続けていく辛さや愚痴は一言も言わずにスキーを大切におもっていてくれる人が身近にいるんだ」 と思うとなんだかとってもうれしくなった。そして何も言わずに”そのスキー教師”の空になったグラスに思いっきり溢れそうになるまで冷酒を注いだ。 6月 オーストリアのメールタールスキー場にスキーツアーで来ていた。氷河スキー場の 雪は暑さで日ごとに少なくなっていったが何とかスキーを楽しむだけの斜面は用意されていた。このスキー場はペーター・プロディンガ―コーチがO選手を指導していたとき、1度来ただけ。その時も1泊しただけなのでほとんどはじめてといってよかった。 ここはあのオーストリアのデモンストレーター マルティン・グガニックの家があるところ、グッギ―は今回もホテルやスキー場へのバスそしてリフト券の手配などいろいろ面倒をみてくれた。ただ、せっかく家族といる時間だしこちらも仕事中なので滞在中ゆっくり会って話をする機会をもつことはできなかった。最終日の夕食前にやっと1時間ほど時間ができたのでホテルから数分のところにある彼の自宅へはじめての“家庭訪問”。 グッギ―の家は教会の奥の方にありここ数年かかって毎夏自分ひとりで増・改築していた。到着すると家の中からおかあさんと奥さん、そして奥さんに抱かれた9ヶ月の愛娘のニーナがでてきた。奥さんは去年グッギ―が来日中に日本にやってきたので知っていたがあとの二人は初対面。おかあさんは電話で何度も話したことがあるが声で想像していたとおりの白髪でがっちりしていてとてもしっかりした感じの人だった。きっと、「こいつが家の息子をだまくらかして毎年遠い日本に連れてってしまう張本人か…。」と思ってるんだろうなとおもうとちょっぴり後ろめたい気がした。娘のニーナはふっくらしていて骨太そうでさすがグッギ―の娘、活発そうだけどはじめてみる東洋から来たおとうさんの知人を意識してかおとなしくしていた。 ひととおり、部屋を案内してもらったあと外のベンチにすわるとラードラー(ビールとソーダを混ぜた飲み物)とシュペック(生ハム)やチーズをご馳走になった。まだ、明るく日本にいるときより時間がゆっくり流れていくような気がした。 教会の鐘がすぐ近くでなって、時計をみるともう7時、「そろそろ、戻らなくっちゃ。」というと、グッギ―が「車で送るよ!。」といって奥さんと娘と車の方へむかった。こちらも後を追うように慌てて立ち上がろうとするとそれまであまりしゃべらなかったおかあさんが小さな声でつぶやくように話しかけてきた。「ニッキ―(私の親しい外国人の間での愛称)息子はまた、この冬も大好きな日本へ行くんだよね。でも、今度は嫁や孫のニーナも連れ行きたいらしいの。いま、こうしてみんなで一緒にいるとかわいい盛りのニーナと離れるのがつらくなりそうで・・」 この冬、グッギ―は大好きな奥さんのリッシーと娘のニーナを連れて今冬大好きな日本にやってきて、たくさんスキーを見せて、教えて、魅せてくれることだろう。 ニーナのおばあちゃんにとってはとても寂しい冬になりそうだが。 夏が過ぎて秋になりそして冬がきたら、アハマドさんはパキスタン初のスキー教室をきっとはじめているだろう。“そのスキー教師”は今シーズンもスキースクールのスタッフとしてきっとまた、雪の上に戻ってきてくれるだろう。そして、グッギ―親子はきっと3人でクリスマスの頃日本にやってくるだろう。 みんなスキーが大好きだから |
| 田和夫 1953年生まれ。現在の日本のスキー界でもっともドイツ語に堪能で、その活動は単に「通訳」という範疇を超えている。言葉だけでなく、心も拾い上げる貴重にして希有なタレントの持主 |