| 知のフィールドワーク 16 (スキージャーナル1995.10月号) |
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| ストックホルムからのメッセージ |
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| 第14回インタースキー開催地サンアントンにある最高峰ヴァルーガの頂上に、ロープウェイを乗り継いで登ると一面銀世界だった。8月末の大量降雪で1メートル〜1メートル50センチは新雪が積もっていた。9月中旬まで放牧されているはずの牛や羊はこの「緊急事態」ためヘリで村まで運ばれていて、そこにいたのは私たちを除くとフランスとイタリアからきた観光客だけだった。私たちとは9月5日に日本を出発し、スウェーデンのストックホルムで開催されるインターアスキー理事会に出席する5名(インターアスキー日本代表理事である全日本スキー連盟教育本部長丸山庄司氏と第15回開催地野沢温泉の代表者3名そして私)である。理事会の前に前インターアスキー会長であるフランツ・ホピヒラー教授が住んでいる、野沢温泉村の姉妹村を訪れ、野沢温泉大会が無事成功したことに感謝の意を表すのがサンアントン行きの目的であった。
そして記録的な猛暑の夏からやってきた私たちを迎えてくれたのは、サンアントンの人たちの暖かい歓迎と信じられないような雪景色だった。1月のインタースキー以来半年ぶりに再会したホピヒラー教授はあの頃より少し痩せていたが笑顔は変わらなかった。改めてインタースキの感想を聞くと「本当にすばらしいインタースキーだった。今、一番大切なのは”スキーの楽しさ”を世界中のできるだけ多くの人たちに知ってもらうことなんだよ。スキーのことをよくわかっている人たち、インタースキーの歴史をよく知っている人たちの、開かれた開かれたインタースキーの批評はあるかもしれないが、それよりもスキーをよく知らない人たちに”スキーの楽しさ”を少しでもわかってもらうことが大事なんだ。そういう意味で野沢温泉のインタースキーは大成功だったと思う。」といつもの落ち着いた静かな声で語ってくれた。 そして9月8日、いよいよ理事会の開催されるストックホルムへ。初めて訪れた北欧の町はスウェーデンらしいどんよりした曇り空だった。ここでも早速、顔見知りの理事たちとの1月28日以来の再会があった。カナダ、アメリカ、ノルウェー、スイス、オーストリア、ドイツ、スウェーデン、フィンランド、スペイン、フランス・・・。 そしてもうひとつ私をホテルのフロントで待っていったのはスキージャーナルからのコラムの原稿催促のファックスだった。(そんなわけで9月8日深夜ストックホルムのホテルの部屋でこの原稿を書いているのです) 4年半前、サンアントンでのインタースキー招致に始まった私の仕事は、今年1月野沢温泉でのインタースキーが終わった半年後、明日9月9日AMの理事会における開催地での報告を行う丸山理事の発表を通訳することでやっと終了する。しかし、今回の理事会は野沢温泉大会の評価をするだけの話じゃない。4年後、1999年ノルウェーのインタースキーに向けて何をするべきか、どうやって”スキーの楽しさ”を世界中に伝えていくかを話し合う会議である。 今日の夕食のとき、隣に座った地元スウェーデンのスタッフが「ストックホルムからずっと北の北極圏に近いところにヘリスキーができるところがあるんだ。深雪以外何もないところなんだけど最高なんだよ。だって5月か6月に行くと日が沈まないから1日に24時間スキーができるんだよ!」と目を輝かせながら誇らしげに語ってくれた。 ”スキーの楽しさ”はまだまだいくらでも追求できる。日本でのインタースキーは終わったけれど、これからもずっと”スキーの楽しさ”に出会っていきたい。 |
| 田和夫 1953年生まれ。現在の日本のスキー界でもっともドイツ語に堪能で、その活動は単に「通訳」という範疇を超えている。言葉だけでなく、心も拾い上げる貴重にして希有なタレントの持主 |