知のフィールドワーク 15 (スキージャーナル1995.7月号)
トップスキーヤーの素顔
94/95シーズンが終わってからも、トップスキーヤーたちと仕事を共にすることが何回かあった。彼らはレースで見せたすばらしい成績とは別の「素顔」を見せてくれた。

その1.
エドガー・グロスピロン(FRA)/1995年フリースタイルスキー世界選手権優勝。今までサロモンのCFでしか見たことがなかったこの男に、初めて会ったのは、今年5月、オレゴンでの「スキージャーナル・スキーテスト」だった。全ての行動がフランス人特有のいわゆるマイペースというやつで、ときどきどこで何をしているのかまったく行動がつかめないこともあった。

スキーテスト2日目。この日はGSのスキーテストの日だった。夜のミーティング(その日テストしたスキーに関する評価をテスターたちが話し合う会議)は、通常参加者が夕食を交代でとる「食事棟」のリビングルームを使っていたが、この日はスタッフの食事が長引いたため、急遽グスタボ・トエニ、ベルント・グレーバー、通訳コーディネータ・K、そして私が泊まっている「ドイツ語サティアン」(ちなみに今回のキャンプでは、この名称が流行し、他にも「野沢サティアン」「編集サティアン」などがあった)で開催した。この時期のオレゴン・サンリバーリゾートはかなり寒く、昼も雪まじりの天気だったため、夜もかなり冷え込んだ。私たちは一足早く、食事棟からドイツ語サティアンへ戻り、リビングルームにテスタープラス通訳の人数分の椅子を用意し、気を利かせて暖炉に火を入れた。夜21時、食事を終えたテスターたちが集合し、ディレクターの河野博明氏の進行で、ミーティングが開始された。トエニとベルントは独語、コシールは英語、グロスピロンは仏語、そして海和、渡辺一樹、我慢はもちろん日本語のため、各テスターがそれぞれ意見を言っても、それぞれの通訳がウィスパリングで内容を伝えるのにかなり時間がかかってしまう。ひととおり意見交換が終わり、各テスターがそれぞれ総括した感想を話し始めた頃、暖炉のすぐ前に座っていたというより、ほとんど横になっていたグロスピロンは、背中に暖炉の熱を受け、ほぼ熟睡状態に入っていた。ハードなスキーテストと午後の芝の上での好スコアーが「睡魔」の主な原因であったと思われる。このミーティングに参加していた誰もが、彼のいわゆる「会議中の居眠り」という事実を知っていたし、見ていたのだが、ときどきニヤニヤするだけで、あえて「安眠妨害」をすることはなかった。しかし、最後に河野博明氏が「それでは今日のテストに関して、グロスピロンさん一言お願いします!」と言うと、全員の視線がムッシュ・グロスピンに注がれ、一瞬暖炉の薪のバッチバチという音以外シーンとしてしまった。何となくその気配を感じ取ったのかムッシュ・グロスピンは、ムクムクと上体を起こすと目をショボショボさせてなぜか英語でボソボソと話し始めた。そして彼がいったい何を話すのかと思って、ドキドキして聞いていた。そのミーティング出席者全員がびっくり!なんと彼のコメントはほとんどそれまでの他のテスターの発言を一言も漏らさず、聞いていたかのように辻褄の合う完璧なもので、直前約15分熟睡していた人間の言葉とは思えなかった。その瞬間私たちは眠っていても、頭と耳だけは機能している世界チャンピョンの隠れた「才能」を発見したのだった。

その2.
ボーヤン・クリジャイ(SLO)/元アルペンワールドカップレーサー。6月下旬、私がヨーロッパ出張から帰国した翌日、ボーヤンから電話があった。「これから山手線に乗って、そっちへ行こうと思うんだけどいいかい?」(彼は東京のJR、地下鉄を来日数年でほとんど把握してしまっており、たいていの移動は電車か徒歩で、タクシーはまったく使わない)。30分くらいすると、相変わらずアルシンドっぽい甲高い声で「ヤァ元気かい!」と言って、私のオフィスに入ってきた。一通り、スキー業界の話をしてから、「昼飯食べた?これから食べに行くけどどうする?」と聞くと「遅い朝食をとったから、とくにいらないけどつき合うよ!」と言って、あのフランツ・ラウターが大好きだった、みそラーメンのある近くの中華料理屋に行った。会社の男性スタッフ数名と一緒に行ったので、彼の近況を聞いてみた。「そうそう、この秋にはリュビリアーナの近くに買った土地に家が建つんだ。引っ越したら連絡するよ。」と言うのでどのくらいの広さなのか聞くと「ウン、土地は10ヘクタールくらいかな。家は25×30メートル(227坪)のリビングと六つの寝室があるんだ、主寝室と子供部屋が二つ、あと三つはゲストルームなんだ・・・。」とボーヤンはウーロン茶を飲みながら平然と答えた。しかし、その瞬間ラーメンと餃子を食べていた私たちの箸が一瞬止まった。”ちょっと待ってよ。それってもしかして、サファリパークみたいな土地と体育館みたいなリビングルームじゃないの。だいたい東京で自分の家が建っている土地を「ヘクタール」でなんかいえる人いないよ!”当然、東京及びその近郊在住の私を含めたその場にいた会社の男性スタッフは、こう思ったに違いない。しかしボーヤンは一向にこのわれわれの反応に戸惑うことなく、ニコニコしながらこういった。「この最後に残った餃子ひとつ食べてもいい?」私たちはもし東京にいたら、間違いなく長者番付の上位になりそうな友人のトップ・スキーヤーが、おいしそうに冷めた餃子を食べるのをただ黙って眺めていた。

田和夫
1953年生まれ。現在の日本のスキー界でもっともドイツ語に堪能で、その活動は単に「通訳」という範疇を超えている。言葉だけでなく、心も拾い上げる貴重にして希有なタレントの持主