| 知のフィールドワーク 14 (スキージャーナル1995.4月号) |
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| あまり大きな声では言えない富良野裏話 |
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| 2月中旬に富良野で開催されたアルペンスキーワールドカップで私は、2年前の盛岡・雫石アルペンスキー世界選手権同様、ホテル内の渉外デスクで仕事をしていた。そこで、今月号では世界のトップレーサーたちのレースシーン以外での表情をお伝えしよう。 その1 ふたりの勝者 2月19日のSLで勝ったミハエル。トリッチャーは前の晩、夜遅くまでホテル内のゲーム機で遊んでいた。彼の久しぶりの勝利はテレビゲームで反射神経を鍛えているため・・・とは思わないが、夜更かししていても勝ってしまうトップレーサーのタフさを感じた。もう一人の勝者2月20日のGSLで勝ったマリオ・ライターはとてもおとなしい好青年。宿舎にいると丸めがねをしていて、髪もボサボサ、ヒゲ面なので、レーサーというより”ウィーン大学哲学科在籍”といった感じだ。最初、われわれも彼を見たとき、レーサーではなく、メディカルスタッフかと思ってしまったほどである。大会終了後の2月21日、一日大会が延びたために、次の大会地の韓国への移動便のチケットが取れず、40名以上の選手が成田空港で多量のバゲージ、スキーとともに”スタンバイ”状態。3時間ほど待って突然全員OKとなったが、それまでじっと待っていた”スーパー・マリオがいない!しばらくたって戻ってきた彼は、バラを一本買ってきて、インタビューなどでお世話になった、と通訳のS.Kさんにプレゼントした。なぜかワールドカップで勝てるようなレーサーというのはこういう気配りを忘れないのである。 その2 トンバ VS オーモットの場外バトル 今季、絶好調だったトンバは富良野に着くと大会のポスター、プログラムパンフレットの表紙が全てオーモットなのを見て激怒(もちろん本気ではなく、彼なりのビジネス的計算とジョーク)。富良野プリンスの売店においてあったパンフレットを自分で切り貼りして、トンバの滑りに貼り替えてしまった。それを自分で大量にコピーしてサインを一枚一枚、全てにして置いていった。ライバルに対する彼の闘志はたいしたもの。このトンバの「ハンドメイド、サイン入りコピー」、実は私も持っている。一方、2月20日の夜6時、恒例となった翌日のゼッケンを決める公開ドローが、前日に続き、ホテルの2階テラスで行われた。TVの生放送のため、われわれ渉外スタッフは、該当レーサー15名を必死で探したのだが、”オーモットがいない!”ドロー及び、番組は始まってしまい、とりあえずノルウェーチームのチームキャプテンにオーモット代役としてスタンバイしてもらっていると、いきなりオーモット本人がすっかりドローのことを忘れていたらしく、”ジョギングから直行”といった汗まみれの姿で現れた。そのまま壇上に駆け上がると、まだ彼の一人前の選手を呼んでいたいたところで、今度は”フライング”でまた壇上の下へ。例のあどけない笑顔で苦笑して戻っていった。 そしてドロー終了後、一般スキーファンが選手たちにサインを求めて押し寄せてきた。もちろん本命はトンバ! 自分にも駆け寄ってくるファンたちからすばやく逃れたオーモットは、テラスの窓をあけてそこから中に入ろうとした瞬間、彼に向かって地元のおばさん風の人が「トンバさ〜ん、サイン、オクレ〜!」と叫んだ。一瞬振り返ったオーモットは恐ろしい動物に襲われかけたときに見せる、小動物のような表情をちらっと見せたが、次の瞬間、ひらりと窓から中の喫茶室へ、”脱出”した。おばさん駄目ですよ。スキー界では珍しいボロニア産の濃い顔と北欧の美少年風超薄口の顔の区別もつかないのに、サイン欲しがっちゃ! その3 トンバの場外ホームラン 富良野ワールドカップのレースでは、まったくいいところなしのトンバ。20日午後の東京への移動日、旭川行きのバスに乗っているはずが、なぜか、われわれと同じ札幌行きのバスに乗っていたのである。オーストリアチームをイタリアチームは旭川経由のはずだし、そのほうが東京着が早いはずなのに?「どうしたんだろう・・・」という疑問は、空港に着くとすぐに解決された。どこからか髪の長いモデル風の謎の美女が現れ、アルベルト・トンバは消えていった。 2月18日のキャンセルとなったレースも含めて、レースでは”スリーバント失敗”に終わったトンバだったが、レース後はなんと”場外ホームラン”を放ったようだ。 |
| 田和夫 1953年生まれ。現在の日本のスキー界でもっともドイツ語に堪能で、その活動は単に「通訳」という範疇を超えている。言葉だけでなく、心も拾い上げる貴重にして希有なタレントの持主 |