知のフィールドワーク 12 (スキージャーナル1994.12月号)
インタースキーへのカウントダウン
9月15日成田空港出発ロビー。9月初めに野沢温泉で開催されたインタースキー準備のための理事会を無事終えて、インタスキー会長フランツ・ホピヒラー教授は私に最後の握手をしてこう言った。「ニッキー(私の海外での愛称)ありがとう。とてもいい理事会だった。野沢温泉の準備は万全だ。来年1月にはすばらしいインタースキーができると思うよ。」隣で今回初めて来日下した教授の奥さんがやさしくほほえんでいた。その表情は父親であるクルッケンハウザー教授にそっくりだった。

1979年インタースキー蔵王大会の数年前、まだ大学生だった私は、インタースキー候補地の視察で来日した、当時のインタースキー名誉会長クルッケンハウザー教授に同行して生まれて初めて日本の有名スキー場(蔵王、志賀高原、野沢温泉、八方尾根など)に行った。通訳というより「カバン持ち」という立場だったと思う。その時も当時の東京国際空港羽田から離日するクルッケンハウザー教授は、私にその熊のような手で握手して「ダンケ(ありがとう)カズオ」と言ってくれた。それが私にとってスキー界での初仕事だった。その頃は誰かに紹介されると、変わった苗字なのですぐ素性がわかってしまい、「ああ、あの元ニュースキャスターで参院選全国区でトップ当選された方の息子さんですか・・・・」という答えが必ず返ってきた。そんな中で私自身がやったことに対して感謝の言葉をかけてくれたクルッケンハウザー教授の一言は今でも私にとって仕事に対する大きなモチベーションとなっている。

そして10年経った。成田空港で握手したホピヒラー教授の手は彼の亡くなった義父と同じように大きくて暖かった。

インタースキーカウントダウン!野沢温泉村には大会議場ができ、日影ゲレンデまでの動く歩道もまもなく完成する。

今年3月のデモ選でも実証済みのように、日影ゲレンデは再開発され、すばらしいデモバーンという「ステージ」が世界のトップスキーヤーの演技を待っている。村の人たちも千名以上の外国からのお客様を迎えるべく熱心に準備を進めている。「出演者」のデモンストレータも演技内容がほぼ決定し、この雑誌が発売される頃にはザウスでの日本代表ナショナルデモチームの合宿を終え、本番へ向けて最後の調整に入っているはずだ。TV放映やスポンサー・サプライヤーもほぼ決まり、イメージソングや公式ポスターもできあがった。100名以上の通訳の研修も8月と10月に行われ、あとは12月の雪上研修、キャラクターグッズもいよいよ制作の段階である。

1995年1月21日〜28日、旅館は外国チームやVTRが入るのでほぼいっぱいだが、400軒ある民宿ならまだまだ充分泊まれる。競技会と違い、使用するのは日影ゲレンデだけなので、コース閉鎖もなく、午前中はインタースキーを見て午後はそのイメージで野沢温泉スキー場を思いっきり滑ることもできる。インタースキーから約2週間後には世界で一番速いスキーヤーを決めるアルペン世界選手権がスペインのシェラネヴァタで開催されるが、世界で一番ウマいスキーヤーが見られるインタースキーを是非一度見に来てください。開催まであと50日ちょっと。いよいよインタースキーに向けてカウントダウンだ。

田和夫
1953年生まれ。現在の日本のスキー界でもっともドイツ語に堪能で、その活動は単に「通訳」という範疇を超えている。言葉だけでなく、心も拾い上げる貴重にして希有なタレントの持主