知のフィールドワーク 5 (スキージャーナル1993.4月号)
世界選手権盛岡・雫石大会のちょっといい話
一般マスコミは「悪天候」とか「堤批判」しか書けなかったアルペンスキー選手権。しかし、悪条件の中、選手は大観衆の前でホンモノの素晴らしいレースを見せてくれたし、コーチやサービスマンは、選手にベストの状態に仕上げようと必死だった。選手やコーチが泊まっていた雫石プリンスホテルの渉外インフォメーションにいて、レーサーたちと19日間生活を共にした私は、彼らの、そして大会関係者たちのちょっとおもしろい話を見たり聞いたりした。

盛岡運動公園で行われた表彰式での話。
なんと優勝者のオーモットの姿が見あたらない。慌てて探し回ってコンパニオンのひとりがそれらしき人物を発見。ちょっとふっくらしていて、身体もがっちりしているが、ノルウェー・ナショナルチームのユニフォームを着ているし、顔は童顔でテレビで見たオーモットにそっくり。おそるおそる「アー ユー ミスター オーモット?」と聞くと「イエス アイアム オーモット」と答えた。念のため、「アー ユー フェイモラス オーモット?」と聞くと、「イエス アイアム フェイモラス オーモット」と答えた。「間違いない」と思って表彰台の所へ引っ張っていくと、表彰台の上にはすでに童顔で全く同じ顔をしたちょっぴり細面の「少年」が笑顔で立っていた。オーモットを世界一のレーサーに育てた「オーモットパパ」は年齢による「太さ」以外は、本当にそっくりなんですよ。

男子ダウンヒルの日
ジラルデリはマスコミに対し雫石のコースを批判。「このコースは別名ノルディックコースだ。ジャンプとクロスカントリーの選手の為のコースでレーサーには向いていないよ!」。ここまでは世界中、あらゆるメディアによって報じられた。同じ日、マークは宿に帰ると渉外通訳のSさんにこう語った。「今日はカッとして馬鹿なことを言い過ぎちゃったよ。あまりいいタイムがでないんでつい・・・。ダウンヒルレーサーとしてのスペシャルトレーニングをしていない僕には確かに向かないコースだけど・・・」。Sさんは、富良野のワールドカップの頃からずっと「問題児」ジラルデリ父子についていてくれた人。父のヘルムートも、彼女の前では虎が猫になってしまってまったく頭があがらないそうだ。どうやら彼女の寛大さが、ふたりのジラルデリをやさしく包んでいるようだ。そして残念だが、マークが自分の言動に反省してボソボソと「日本の母親」に語る様子は誰も報道していない。

ワールドカップで世界を転戦している連中は本当にたくましい。極東の日本、その「奥」の雫石まできてさえもFISの役員やコーチ、サービスマンは、大会本部から支給された車やレンタカーであちこち飛び回っている。VIP付き通訳Iの話「レーシングオフィスの道を歩いていたら、向こうから車がきた。中にはどうやらどこかのチームのコーチが乗っているらしいのだけど、なんと道路の右側を走っているのよ。危ないと思って反対を見たら、対向車が猛スピードでこっちに向かってくるじゃない。「あっ、正面衝突」と思ったら、スッーとすれ違ってしまって」どうやら対向車も外国のコーチかサービスマンで、そちらも右側通行していたらしい。警察には内緒。

ある日、渉外インフォメーション横のJTBデスクに一人の年配の男性が現れた。最初は韓国の方だと思って対応したが、日本語も英語も通じない。そこで海外の「戦力」、ドイツ語、イタリア語、フランス語、スペイン語など、通訳を総動員させたが全く通じない。最後に雫石役場から派遣されている組織委員会の人に対応してもらったところ、相手はなんと地元の警備担当の方だった。それにしてもわれわれが誇る渉外通訳の「最強メンバー」の誰一人、彼が何をしゃべっているのか、ひと言も理解できなかったというのだから、盛岡・雫石は未知の外国語なのである。

大会取材中、雫石プリンスは超満員。カナダチームのコーチ?がチェックインしたときも、ほぼ満室状態。夜遅く到着したとき彼はこう訴えた。「実は週末に妹がくるんだ。彼女はカナダで高校の教師をしているのだけども、もう5年も会っていない。部屋がいっぱいならオレの部屋でもいいから 何とかしてくれよ。」担当したドイツ語通訳がホテルやJTBに交渉したが結局はだめ。翌日この話をしていると、英語通訳のKが、「でもあの人、僕のシスターインロー(義妹)って言ってたよ」というので、みんなで「あの野郎、とんでもない奴だ」ということになった。数日して、このカナダ人は「本当に残念だけど、オレの妹は見たかったダウンヒルレースがキャンセルになったから来ないんだ」と言ってきた。それから数日後、「ウルスに会いたいんですけれど」とい女性が現れた。顔を見ると、そのダウンヒル優勝者ウルス・レーマンにそっくり。例のカナダ人の妹のことがあったので、てっきりウルスの妹だと思って「いいよ、いいよ」と言って、ウルスのルームナンバーまで教えてしまった。後で預かったIDカードを見ると、名字も全く違う他人。実はスイスのプレスの女の子だった。一応、「プレスのインタビューはコーチまたは本人の許可を得た上で」ということになっていたので、私はウルスに似た彼女に「超特別待遇」のインタビューを許可してしまったのだ。


田和夫
1953年生まれ。現在の日本のスキー界でもっともドイツ語に堪能で、その活動は単に「通訳」という範疇を超えている。言葉だけでなく、心も拾い上げる貴重にして希有なタレントの持主