知のフィールドワーク 31 (スキージャーナル1999.6月号)
国技選3兄弟
 今年も第4回国際スキー技術選手権大会が野沢温泉で開催された。第1回、第2回の優勝者はベルント・グレーバー、昨年、第3回がリッチー・ベルガー。そして第4回のチャンピオンはマルティン・グガニック。今は亡きブンデススポーツハイムのホピヒラー教授が育て上げた"遺産"、オーストリアのトップデモ3人がすべてそのタイトルを独占した。

 "長男"ベルントとは技術選の会場、岩岳で会った。一瞬、ジャンプの葛西選手がいるのかと思うほど、ベルントのヘアスタイルと長さ、色は大変身していた。15年前、初めて会ったときからつねにアグレッシブで声が大きかった。初来日で赤坂プリンスホテル前のお堀にカメラのキャップを落とし(桜を撮影中)、深いと思って飛び込んだら、水はほとんどなく、泥だらけで"赤プリ"の大理石のロビーに戻って来たこと。長野県スキー連盟の招聘で志賀高原に行ったとき、湯田中の『ゲイシャハウス』で野球拳をして、芸者さんを腰ヒモでコタツに縛ってしまい(ちなみに国家検定山岳ガイドの資格も持つベルントの結んだヒモは決してほどけない)、おかみんさんにひどく怒られたこと……。

 "三男"リッチーは自慢の金髪をかなり伸ばしてますますスキー界の"王子様"風になっていた。しかし彼には同じ部屋で寝たことのある人しか知らない「秘密」があった。この秘密に関しては、昨年までリッチーに同行していた弊社のIやグッギーから聞いていた。今回、ついに私はリッチーと同室になった。Iからは以前「田サン、リッチーはものすごいですヨ。イビキと寝言と歯ギシリをほぼ同時にやっちゃうんですヨ」と聞かされていたのだ。しかし、「グーテ・ナハト」と言って床に就くとシーンとしていて、そのうちスースーと眠りについたようだった。ところが夜明け近くに突然、熟睡していた私の耳に火災警報のようなすさまじい音が入り、思わず飛び起きたが何の音もしない。夢かと思って眠ろうとすると、ふたたび「ウーッ」という人間の発声とはとても思えないような音が隣のベッドでしていた。これが"伝説"のリッチーの雄叫びだったのだ。国技選ではチョッピリ不調だったリッチーだが、SJスキーテスト・イン・オレゴンではまぶしい陽射しの中できっと彼らしい美しくエレガントな滑りを見せてくれるだろう。しかし、サンリバーリゾートのコンドミニアムでリッチーと同室になる方、気をつけてください……。とくに夜明け前の4時から4時30分が危険です。

 "次男"グッギーは3月22日、大荒れの天候の中、最終種目ファン(カービング)レースで宿敵"ベロンチョ"こと長男ベルントについに勝って国技選の新チャンピオンになった。5種目までが終わったところで、ベルント、グッギーがまったく同ポイント。本人も含めて誰もがベルントの国技選3勝目を予想していた。ベルントがかなりファンカーブのスキーを使いこなしているのに対し、グッギーはほとんどこのスキーを使って滑っていない。不整地ショートの得意なグッギーに対し、ハイスピードロングを得意とするベルントがこの種目でも有利であることは明らかだった。トライアル・ランが終わってもタイム的にあまり差はなく、ふたりはスタートへと向かった。そしていよいよ本番開始。

 何人か滑ったとき、ジャッジマンのひとり元オーストリアナショナルチーム総監督、ヴェルナー・ヴェルンドルが私に「ニッキー(私の外国人からの愛称)、ワンピを着ている選手とそうでない選手だとコンマ5(0.5秒)も違うヨ!」とさすがに元アルペンのトップコーチらしいことを言った。ちょうどその頃、スタート付近でウォームアップをしようと思っていたグッギーがベルントを見ると、アウターの下になんとレーシングワンピースを着ているのを確認。「マズイ!」と思ったグッギーはM選手にワンピースを貸してほしいと頼んだ。M選手はゴールするやベストタイムである自分の成績も確認せずにスタートへ向かうリフトへ。しかし吹雪に近い悪天候のため、M選手を乗せたリフトは何回も止まる。イライラするグッギー。しかし、インタースキーやオリンピックでも競技バーンのベストの状態をめざす野沢温泉スキークラブのスリッピングクルーがレースを中断して、各選手に平等な条件を与えるべくコース整備に入る。先頭には横なぐりの吹雪の中、帽子もかぶらず素手でスコップを持ってデラパージュをする野沢温泉スキークラブ会長Kさんの姿があった。もしかしたら、あらゆる天候でもパーフェクトなコースをめざすKさんの執念もグッギーの勝利に結果としてちょっぴり貢献したのかもしれない。その中断のおかげでギリギリ間に合い、寒い寒い着替えをした後、ベルントと同条件で最終スタートした。

 グッギーが勝った! ベルントとの差が"コンマ5"以上あったかは定かではないが……。何日か前、東京で大好きなミソラーメンを食べながら「ニッキー、また腰が痛いんだ。毎年今頃になると痛くなる。そろそろヒサヤ(佐藤)やマサキ(宮下)の時代かなー」と言って淋しそうな表情をしていたグッギーが久々にグッギー・スマイルを見せてくれた。私は表彰式が終わってもファンサービスで写真やサインをいつまでもいつまでもしていたグッギーのところに行ってすべてが終わるのを待ってから、大会役員であるため控え目に「オメデトウ」と言った。「ニッキー、プロのマネージャーみたいにD社に優勝ボーナスの交渉なんてしなくていいから、"次男"グッギーは勝った後も奢ることなく日本人以上にケンキョなオーストリア人だった。今、この原稿をインタースキーの日本代表団としてノルウェーに向かう機内で書いている。4月10日には会場であるノルウェーのバイトストーレンで長男ベルント、三男リッチーに再会できる。6月にザウスでの再会となりそうだ。
 
田和夫
1953年生まれ。現在の日本のスキー界でもっともドイツ語に堪能で、その活動は単に「通訳」という範疇を超えている。言葉だけでなく、心も拾い上げる貴重にして希有なタレントの持主