| 知のフィールドワーク 44 (スキージャーナル2003.06月号) |
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| コリアン・スキー・チングへ |
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| 1月24日。 スイス、クラン・モンタナでの第17回インタースキー大会総会の会場。「ネヒスト・インターシー・イスト”ヨンピョン・コレア”」という選挙管理委員会委員長、IVSI(国際スキー指導者連盟副会長)フリッツ・マーレス氏の声が大会議場に響いた。その瞬間、10数人いた韓国代表団・招致団の席からウォーという歓声があがった。韓国がインタースキーに本格的に参加したのは今回が初めてだった。代表団と招致団で40名近く冬の国際大会・会議では最大の大デレゲーションだった。 1月19日夜 ”スキートータル”という 各国デモの発表では最後のブロックにはいった韓国デモチームは緊張してガチガチ、すでに発表の終わった日本チームのデモやデモコーチにリフト乗り場で「大丈夫だよ!」「いつもどおり滑ればいいんだから・・。」と励まされて”赤いユニフォーム軍団”はそれでも心配そうにリフトに乗っていった。 招致活動も会議場にブースを用意しポスター、パンフレットを配るのだが何しろ、はじめての参加で招致団にはもちろん代表団にもインタースキー参加国の誰が誰なのかわからない状態。ただニコニコして資料を配っているだけだった。私も助けてあげたかったのだが一応日本の代表団の一員としてきている以上あまり露骨に韓国の招致団の手伝いはできない。 同じスキー場が2度目の立候補をし、スイスの次がイタリアというのはちょっと考えられないので 同じく立候補したイタリアのセクステンよりはやや有利かもしれないがスキー場の規模も大きく国際大会の経験も豊富なカナダのトレンブランには勝ち目がないような気がしていた。それに加えてインタースキー公用語を母国語とする国との言葉のハンディも大きすぎた。 1月22日夜 スノーリーヴィレッジというデモバーンの下にある大テントで行われた非公式な次期インタースキー開催立候補地のプレゼンテーションに顔を出した。ヨーロッパらしい立ったままで飲み物を片手に談笑するざわざわした雰囲気の中でカナダ、韓国、イタリアの順で発表が行われた。(英語やドイツ語でのアルファベット順では 韓国は最後のはずだがクラン・モンタナはフランス語圏、コリアは「K」ではなく「C」ではじまるので2番目だそうだ。) カナダの発表はまず流れるような英語でのアピール、そして北米特有というか先進国特有の映像カットでめまぐるしくスキー場での各種大会を紹介し音楽もスポーツイベント、スポーツショーを意識したいわゆる”ノリノリ”の内容だった。 次が韓国の発表、まずアルペンスキーの選手でヨーロッパのFISレースを転戦していた経験のあるキム・ナミ(今は結婚して1児の母)が素人っぽいドイツ語で韓国そしてヨンピョンを紹介、その後もある程度 現代韓国のテクノっぽいテーストもはいっていたがたんたんとインタースキーに向けての会場紹介をVTRでみせた。 そして2番目という順番が韓国にとってラッキーだったのは もっと手作りで素朴さをアピールしたイタリアの発表のころには場内も飽きてきたのかますます雑然として騒音のなかでの発表となり、私も含めて内容をしっかり聞くことさえできなかった。 発表が終わって会場の外に出ると雪が舞っていた。 その瞬間、「代理店のプレゼンならカナダに負けたかもしれないけど インタースキーならもしかしたら勝てるかも知れないなー」と1991年かr12年インタースキーに関わってきた直感でふっと思った。翌日の午前中、スノーリーヴィレッジにいた韓国の代表団のオム会長、ハン専務理事、そして通訳のリー君という国際技術選でお世話になっている人たちを集めてちょっとおこがましいがアドバイスをした。 「昨日の発表はよかったと思うよ。でも、インタースキーパッケージ料金も含めた内容を正確に伝えておかないと。せっかく、興味をもっても現実的な内容を各国に知らせないと結局はそれが大きな判断材料だし。それには会議場で各国の団長を待っていたんじゃもう、時間もない。今日中に各国の宿舎をまわって団長宛にパンフレットとパッケージ料金の書かれたセールスシートをコピーして配ったらどうだろう。車もないからタクシーでまわって、そのほうが宿を探しているより地元のタクシードライバーなら詳しいし効率もいいと思うよ。資料は封筒に入れてホテルのフロントで各国団長あて渡してもらうように伝えればいいし。とにかく、手ごたえはあるから情報量が少なかったんで負けたんじゃもったいないから!」 午後、会議場に行って「どう、できそう?」と聞くと「田さん、大丈夫 何とかなりそう。」とリー君は言う。「でも資料はコンピュータの中だろ、プリントアウトは?」と聞くと平然と「地元の組織委員会の人に頼んだよ!」と言う。普通、常識では招致目的のものを地元には頼みにくいのだが・・・韓国おそるべし! そして、「細かいことだけど資料をいれる封筒って持ってこなかったよね。見たことないけど・・・」と聞くと招致団のおばちゃんの一人がニコッとして封筒をさし出した。それはいらなくなったポスターをうまく切り貼りして作ったまさに“手作り封筒”だった。 韓国が35票中24票という圧勝でインタースキー次期開催地に決まった瞬間、私は選挙管理委員として選出された日本のA団長のアシストで壇上にいた。表情は平静でなくてはいけないので努めて普通にしていたが1991年にサンアントンで野沢温泉が次期開催地に決まった時ほどではないにしても決定の瞬間体の奥から熱いものがこみ上げてくるのを感じた。 2月13日朝 今年も国際ギセンで韓国に来ていた私はヨンピョンリゾートホテルでオム会長と会っていた。コーヒーを飲みながら会長は「田さん、ほんとうにありがとう。 日本の皆様のご支援がなければ我々だけでは到底、インタースキーなんか無理でしたよ。特に田さんには最後に的確なアドバイスをしてもらって。」と言われた。 「会長、アジアでスキーを盛んにするにはアジアで結束しないと。でも、やっぱり、今回の招致成功は韓国の皆さんの熱意ですよ。幸い、インタースキーの仲間はスキーをやってる人たちだし、こういう情熱っていうのが言葉ではなくても伝わるんですよ」 野沢温泉が終わった時、これが最後のインタースキーだと思った。ノルウェーでは内容がちょっと不完全燃焼気味で次回スイスまでと思った。そして、今回もカナダに決まっていたら終わりにしようと思っていた。でも どうやら「チング コリア」のために2007年までインタースキーに関わることになりそうだ。 |
| 田和夫 1953年生まれ。現在の日本のスキー界でもっともドイツ語に堪能で、その活動は単に「通訳」という範疇を超えている。言葉だけでなく、心も拾い上げる貴重にして希有なタレントの持主 |