| 知のフィールドワーク 45 (スキージャーナル2003.09月号) |
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| ベニーも、ライナーも、キリアンも・・・ |
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| アルペンスキーワールドカップ志賀高原大会は同タイム2名優勝という100分の1秒を争う大会にしては非常に珍しい結果に終わった。 大会終了後、ゴールエリア横での表彰式とTVインタビュー。その後、1〜3位の選手を記者会見場まで輸送するのも我々渉外スタッフの仕事。1位が2名となったため、あわてて輸送のためのオフィシャルカーをケイタイでもう1台追加手配した。そして、自分もレースオフィスへ帰る足がないので優勝者のひとり、オーストリアのライナー・シェーンフェルダーの乗った大会組織委員会のオフィシャルカー・アウディ・オールロードクアトロの助手席に乗り込んだ。 車は焼額から一の瀬、高天原を過ぎた頃には大会の終了を待っていたかのような猛吹雪となっていた。車内はライナーの横に乗っている通訳のIも熟睡状態。運転手は大事な選手を乗せての運転で緊張気味。シーンとした状況となったので彼に話かけた。「コースはどうだった。2本目は視界も悪かったんじゃないの?」「そんなこと、俺たちにとっちゃ問題ないさ、それより今日のコースは勝ったから言うわけじゃないけど、今シーズンのレースじゃウエンゲン、キッツビューエルの次くらい、いや今年のキッツはあんまりコース条件よくなかったから、2番目にいいコースだったかな!日本はすごいよね。なんでも完璧にやっちゃうんだから」 そして、ジャイアントのトンネルを過ぎたころ「ライナー、スキージャーナルで4月初めにオーストリアでスキーテストを予定してるんだけど、来てくれるかなー」と突然聞くと「うーん、日程は多分大丈夫だと思うよ。でもメーカーとの契約があるから他社のスキーを履いて撮影されるのは難しいと思うな」との返事。 こんな優勝直後の移動車の中でのちょっとした会話が最終的には実現したのだった。 ライナーは志賀高原で優勝した日と残念ながら同じような天候のオーストリア、チロル州のキュータイスキー場へ約1ヶ月後の4月2日にやってきた。ウィーンナンバーのブラックメタリックの愛車はなぜか志賀高原と同じアウディ。CDのボリュームをガンガンにしてライナーのイメージぴったりで登場。「ちょっと、天気はよくないけどやってみようよ!こんな時期に深雪で滑れるなんて最高じゃん」と最初の一言。「ここでいいかな」と聞いたと思うとなんと雪が吹き込むホテルのガレージでナショナルチームのウエアに着替えはじめた。 その後、もちろんライナーはスキーテストも雪だらけになりながら熱心にやってくれたがテストコースのゴールから我々のいたデータ収録のテーブルの所に滑ってくるまでのショートターンは“世界中のデモンストレーターの誰よりもうまい”と言っても過言でないほど必見モノ、感動モノの滑りを見せて(魅せて)くれた。 撮影がすべて終わって帰る直前、愛車に乗り込むとまた、CDのボリュームをいっぱいにして「これから、インスブルックへ行って友達に会ってから500km以上あるけどなんとか、今日中にウィーンまで戻るつもり。でもインスで飲んじゃったら、1泊して明日にするかな。そうそう、これ、1枚しか持ってないけど聞いてみてくれ」とラッパーっぽく言うと彼のオリジナルCD“POP MUSIC”を手渡した。 そして、その翌日には無事彼とのスキーテストも終了。数日後、日本からのメインテスターK選手が帰る前日に、日本からのメンバー全員でインスブルックに行きスキー連盟御用達のいつもの中華料理店で食事をしていた。すると突然、黒いタートルのセーターに黒の革ジャンという“苦労したけど少し売れるようになった若手劇団俳優風”の格好のキリアンが登場。食事をしていた我々全員と握手すると「これ、持って帰っちゃったよ」と言って申し訳なさそうな表情でキュータイスキー場のリフト券を大事そうに手渡した。これまでに何人かのワールドカップ第1シードのレーサーと仕事をしたが、リフト券を持って帰ってしまうレーサーも初めてだが、返し忘れたリフト券をわざわざ持ってきてくれたレーサーも初めてだった。私はただただびっくりしてしまい「Danke,Kilian」とだけ言ってリフト券を受け取った。 ベンジャミン・ライヒはスキーテスト最終日 ライナーが来た日と同じ位の悪天候の中、オーストリアスキー連盟のロゴの入ったザルツブルクナンバーという点を除いてはまったくキリアンと同じBMWで直接スキー場下のホテルへ来てくれた。この日はちょうどチロル州の身体障害者のスキーレースが開催されていて 天気待ちのためホテル内のレストランは選手を初め大会関係者でいっぱいだった。そんな中にベニーが入っていくとざわざわしていたのが一瞬静かになり、ほぼ全員がこちらを注目した。そして「あのヤパーナー(日本人)といっしょにいるの もしかしたらベニーじゃないか」という声がしてきた。こんなに人でいっぱいなところに着いてそうそうで迷惑がるかな・・・と心配していると当の本人はニコニコしながらおそるおそる差し出す車椅子の選手や子供たちのサインに気軽に応じていた。 日本で会ったときの印象は、ちょっぴりわがままそうな雰囲気だっただけに以外な感じで彼の対応を見ていた。しかし、その後もっと、以外な光景をみた。 外へでてしばらく雪の降りしきる中でスキーテストの準備の様子をみていたベニーは「そろそろ、着替えてくるよ」というとホテルへ戻り玄関から少し先に止めた自分の車へ向かった。ロビーのところから様子をみていると玄関の階段を降りかけた所で車椅子の選手を必死で降ろそうとしている女性の横を小走りに通り抜けた。ところがベニーは次の瞬間 すっと振り向くと当然なように車椅子の一方を持つと下まで降ろすのを手伝っていた。御礼をいいながらも、どこかでみたような人だな・・・と思っている風の車椅子の選手と付き添いの女性ににっこりしたかと思うと直ぐにその先の道で雪に埋もれてタイヤを空回りさせて出せない車の後ろへまわり全力で押していた。数秒でその車は車体を振りながらなんとか走りだした。そしてやっと駐車している自分の車へ。その間約1分、ベニーはSLを1本滑る位の時間の中であっという間に2つも“深雪のなかの親切”をやってしまったのだった。その後のレストラン内でのインタビューでもテープが回っている最中に子供たちがサインをねだりにくると「ちょっと、中断してもいい?」と我々に聞いてからいくつもいくつもサインをしていた。雪上の撮影でも雪の降りしきる中、約束の本数をきっちり滑ると、「次回はもっと天気がいい時に一緒に仕事ができるといいね」と言って最終日に悪天候と戦うことになったスタッフを逆に励ましてくれた。 アルペンスキーのワールドカップでオーストリアの技術系の選手はドイツのジャンプ選手同様、特に若い女性からの人気が高い。彼らはジャニーズ系の風貌だけではなく、スキーの実力、才能ももちろんとてもすばらしい。それに加えて、その人柄やそれぞれの持ち味、個性がただのアイドルとしての存在としてだけではない彼らのもう1つの“魅力”であることを体感させてもらった。 ベニーもライナーもキリアンも・・・ |
| 田和夫 1953年生まれ。現在の日本のスキー界でもっともドイツ語に堪能で、その活動は単に「通訳」という範疇を超えている。言葉だけでなく、心も拾い上げる貴重にして希有なタレントの持主 |