| 知のフィールドワーク 46 (スキージャーナル2004.02月号) | |
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| 渡り鳥たちの大移動 | |
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| FISワールドカップジャンプ白馬大会当日、白馬村は昼頃からの雪がしだいに激しさを増していた。風も強くなり一旦中断、私たち渉外スタッフのいるチームキャビン二階は着替えをする選手のほかに各国のコーチたちが待機しているため超満員状態だった。外の天候からみて中止は間違いなくただインフォメーションデスクの椅子に座ってボーとしていた。その横には充電中のケイタイがあり、これからの事態を予期するように私自身も“充電”状態だった。 すると突然ノルウェーチームのヘッドコーチ ミカ・コヨンコスキーがすーと私の前に現れた。(彼は現在、世界で選手を育てるのが一番うまいといわれているフィンランド人コーチで不振だったフィンランドチームを再建し、ノルウェーチームにヘッドハンティングされるといきなりノルウェーを最強チームに育て上げた。)いつもは無口で威圧感のある表情をしているミカがフィンランド訛の英語で「ニッキー!(私の外国人の間での愛称)きっと30分くらいするとジュリーミーティングになるよ。そして明日、白馬で飛んでから移動しよう!ってことが決まるだろう。今のうちに明日の朝の移動予定が午後か夜にできるか調べておいたほうがいいよ。」と言った。私は「ありがと、ミカ」と言ってケイタイの充電を途中で切った。私もボーとしている中でミカと同じような状況を予測していた。 そして、ミカの一言を聞いて充電モードから仕事モードにケイタイも自分自身も切り替えた。東京の会社に電話して白馬―長野のバスと東京の東京駅―羽田空港のバスのキャンセルおよび変更の可能性があることを連絡、次の開催地、札幌へスキーや荷物を運ぶ予定で待機しているトラックに明日まで待つよう指示、あしたの宿泊ができるか東京のホテルの状況を会社経由で確認、幸い、“大移動モをする102人分のシングル、ツイン約80ルームを確保できた。 後は、長野―白馬の列車と羽田―札幌のフライト約100人の予約変更。そしてミカの予想どおり30分くらいするとジャッジタワーがある司令塔に呼ばれた。そこにはジュリーメンバーと組織委員会の何人かのメンバーが集まり、この日の中止と翌日の延期を決定、天気予報から午後にほんの少しの可能性を見つけそれに賭けることになった。そして次の札幌の組織委員会からは札幌での翌々日午後に予定している大会のスケジュールに支障ないならOKだとの返事、国際映像の配信も翌日も何とか枠を取ってもらえることを確認。最後にレースディレクターのヴァルター・ホーファーが祈るような目で私に聞いた。「ニッキー、どうだ。このスケジュールで移動できるか?」それは彼らが成田空港に到着してから白馬での大会を終え札幌に向かって羽田を飛び立つまでの大会以外の全ての部分の総責任者である私への質問であった。それが渉外チーフコーディネーターという何をやっているのかわけのわからないような肩書きを持つ私の“仕事”だった。「ヴァルター、何とかするよ。大丈夫だと思う。ただ、羽田から札幌はほとんどがFISトラベルで発券しているから、こっちじゃどうしようもない。座席はもちろん、荷物は今回札幌まで大会終了後トラックで直送するつもりだったから1日遅れたら絶対間に合わない。だからなんとか2t以上の荷物を飛行機で運ばなくちゃならないんだ。そのOKはFISトラベルしだいだ。」 |
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| そして10分後にはチームキャビン二階で全コーチを集めて緊急チームキャプテンミーティング、ヴァルターからジュリーとしてのスケジュール案が出され最後に私から移動の行程を説明、ヴァルターが「反対は?」と聞くと例のミカが「アイ アグリー!」とぽっつり言うと他のコーチからは反対意見は全く出されなかった。 |
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| こうして100人近いワールドカップジャンプの選手・コーチ・役員と2tの荷物が翌日の大会終了後19:00に白馬を出発して21:38分の最終のあさまで東京へ。1泊した後、翌日バスで羽田空港、白馬から一晩かけて羽田に着いたトラックの荷物を全員で降ろし8:00・8:30・9:00の3便に分かれて札幌へ、そしてその日の午後には大倉山で飛んでいるという常識では絶対不可能な大移動が決行されたのだ。 「ヴァルター、もし明日の大会が天候待ちなんかで少しでも遅れたら最終のあさまに間にあわないかもしれない。そうしたら100人が長野駅で泊まるとこもなくて野宿だよ。白馬から東京までバスじゃだめかな。」というと彼は「次の日の午後に飛ばなくちゃならない選手の体調を考えると選手だけでもいいから新幹線にしてくれ!」といわれすぐにJR白馬駅に行って102人分の上者および座席指定の変更をした。列車もホテルもOK,そして羽田から札幌への座席も3便に分かれたがコンピュータ上はなんとかなるようだった。しかし、JALのチューリッヒと交渉しているFISトラベルからはなかなか連絡がはいらない。翌日が大会のため選手不在となったフェアウェルパーティーも終わりコーチはまだ飲み足らずに近くの深夜までやっている店へ。私も無理やり連れて行かれたがみんなのように店中の生ビールを全部飲んでしまうような気にはなれずにコロナビールを中のライムですっぱくなるくらいのスローペースで飲んでいた。「もう閉店です。」といわれた2:00頃、これが最後か、やっぱりダメなのかなと思って充電後代活躍をしたケイタイでFISトラベルに電話するとノルディック担当のマルティンのいつもの暗い声がちょっぴりウワズッテいた。「ニッキー、JALがOKくれたよ!すべてコンファームだ、座席も荷物も!」この“朗報”を店にいたフランス、ドイツ、オーストリア、韓国、スイスのコーチやサービスマンに言うと酔ったのも手伝って「ニッキー!ヤッタジャナイカ、ヨカッタ、ヨカッタ!」といってくれた。 翌日も天気はそれほど回復しなかったが執念で大会は強行、こちらは申し訳ないが大会結果より早く終われ、早く終われと祈っていた。ファイナルラウンドでは定位置のエグジットゲート近くにはいたがいつものように終了後の表彰式や記者会見の通訳手配という業務のことはほとんど頭にはなく降雪のため5人に一人テストジャンパーがはいってからは一人飛ぶたびに時計を見ていた。しかしこういう時はさすがワールドカップ選手たち、18:00に大会終了後19:00は無理だったが19:30には全員白馬を出発できた。雪もこの頃にはおさまって余裕で長野駅に到着、新幹線の中では各チームのコーチに翌日の羽田への移動の説明をするつもりだった。その前に東京駅からいつもワールドカップで使っている奇跡的に80ルームをとってくれた品川のホテルまでのバスの配車がどうなっているのか確認しようと思って会社に電話すると「あれ、それって頼まれてないですよねー。手配してません!」と言われて絶句。とてもこの時間からでは100人が乗る専用バスの手配は不可能だった。あとはJR山手線というチョイスしかない。ヴァルターに恐る恐る相談すると「まあ、しょうがないよな。ここまで完璧に手配してくれたんだから一つくらいミスがないと人間じゃないよ。かえってバスに乗ったり降りたりしてるより時間がかからないかもね。」と言われて一安心。コーチたちには明日の移動のインフォメーションと一緒にこの突然の東京に着いたらなんと山手線にも乗れる!という“オプション”の説明もすることになった。そしてほんとうに東京から品川まで深夜の山手線でワールドカップ選手が移動するという“おまけつき”になった。2両に約100人のわけの分からないかなりラフな格好をした外国人の集団が乗り込んだため何人かの熟睡中の酔っ払いサラリーマンを起こしてしまった。ホテルにチェックインするとさすがに選手は部屋に直行したがコーチやサービスマンは予定外の“ショートステイ イン東京”をエンジョイするため館内の24時間カラオケに行ったり夜の冒険旅行にでかけたりしていた。 翌日、5:45分くらいから“徹夜組”が集まり出し6:00には奇跡的に一人の遅刻者もなしに全員集合、前日の白馬発といい、この日の早朝集合といい、さすがワールドカップで世界を転戦している人達は普段はダラダラしているがこういうときは日本の海外旅行団体客よりずっと優秀だった。羽田空港では白馬から直送したトラックの荷物をそれぞれで持って個人チェックイン。 |
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| これが最後の大戦争。難民のような荷物と人で長蛇の列、セキュリティーもカウンターも2つしかなく、総大将のヴァルターはいつものように大激怒。だだ、ジャンプの世界では絶大な権限を持つ彼も羽田の融通のきかないセキュリティーやカウンターの職員にとってはただの何言ってるかわからないうるさいオヤジにすぎず改善する意志は全くなし・・・ |
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| 仕方なく、セキュリティーの“トンネル”から出てきた長ーいジャンプスキーや荷物をヴァルターと私で汗びっしょりになりながらずるずる引きずってチェックインカウンターまで運び続けた。 睡眠不十分プラス朝食前の早朝コントレのためかなりハードだったがレースディレクター自らに荷物運びをされちゃー手伝わないでボーと見ているわけにはいかなかった。そして搭乗券と手荷物だけで自由の身となった選手やコーチたちはバラバラでモーニングサービスのレストランや搭乗ゲートへと消えていった。世界中を転戦している“渡り鳥たち”はこれから飛行機で“飛んで”札幌まで行き、午後には自らが大倉山で飛ぶはずだ。 さすがの彼らでも同じ国でバスと列車と飛行機とそして山手線で移動して二日続けて飛ぶのははじめての経験だったにちがいない。 |
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| 田和夫 1953年生まれ。現在の日本のスキー界でもっともドイツ語に堪能で、その活動は単に「通訳」という範疇を超えている。言葉だけでなく、心も拾い上げる貴重にして希有なタレントの持主 |
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