知のフィールドワーク 47 (スキージャーナル2005.11月号)
カリスマコーチたち
6月末、まだ郵政民営化法案が衆議院に出された頃、A新聞夕刊1面に掲載された“ニッポン人脈記”の「ベトナムの戦場から」というシリーズで私の父の写真が載った。それは7月に入って民営化法案が衆議院で可決された頃、「サッカースタジアム」というシリーズに変わり、創成期に“ジャパン”を指導し、メキシコオリンピックで銅メダルをもたらしたドイツ人コーチD・クラマーさんの写真が掲載されていた。その目を見開いた表情と戦術を殴り書きした背景のホワイトボードを見て、「あれ、誰かに似てるな…」と思ったが、どうしても誰だか思い出せなかった。

それより前の6月はじめ、韓国で開催されたインタースキー総会から戻り、ちょうどスキージャーナルの編集の人たちとサッカーのワールドカップ予選・アウェーのバーレーン戦を国立の電光掲示板で観戦なんていうことをやっていた頃、中学を出てから、ずっとオーストリアで“スキー留学”をしていた波多優君がお父さんと一緒に私の会社に挨拶にやってきた。
彼は富山県の出身でどうしても本場で“スキー修業”がやりたくて15歳のとき、中学を卒業してすぐ、単身オーストリアに渡った。そして、当時日本チームのコンディションコーチをしていたH・ベルクミューラー宅に下宿し、雪上はP・プロディンガー、フィジカルはベルクミューラーコーチの指導のもと、ヨーロッパでのFIS大会などに出場していた。この2人のコーチを紹介したのが私の会社だった。

当時はジャパンのトップレーサーの木村公宣選手をはじめ、野沢温泉の河野克幸選手、現在、デモンストレーターを目指している栗山太樹選手などが既にオーストリアに住んでいて、プロディンガー、ベルクミューラー両コーチの指導を受けていた。そして波多優君は最年少選手としてこの“P+Bチーム”に入った。彼はプロディンガーの指示により高速系を中心にトレーニングをして、大会に出ていたため、転倒などにより何回か怪我でシーズンを棒にふったこともあったが、あきらめることなくFISポイントを着実に上げていった。

今年、21歳になり一区切りつけて、久しぶりに長期で日本に帰ってきたので私のところに挨拶にやって来たのだった。
「今シーズンは日本の大会にも出て日本での自分の力を試してみようと思ってます。ハイニ(ベルクミューラー)には時々アドバイスを受けるだけでコンディショントレーニングは自分でやっていきます。ペーター(プロディンガー)には今後もヨーロッパでの雪上トレーニングと大会では世話になるつもりです。」

そう今季の計画を語った後、最後に少し恥ずかしそうな顔をしてリュックから大事そうに日本選手のFISランキング表のコピーを私に差し出した。現在は日本チームの方針でDHではFISの大会に出ている日本選手はほとんどいないとはいえ、DHのSAJアルペンポイントリストの一番上に彼の名前があった。

オーストリアに出発前、やはりお父さんと一緒に会社に来たときは、こちらが「大丈夫かな。」と思うほど、あどけない表情と華奢な身体をしていたが、6年ぶりに会った彼は表情も落ち着き、オーストリアのトップ選手には及ばないものの身体もがっしりしてすっかり逞しくなっていた。

7月末に郵政民営化法案が参議院で審議されていた頃、彼から渡されたポイントリスのコピーを何気なく見ていた時、急に思い出した。
「そうだ!あの、新聞の写真はペーターだ!」
顔こそ全く別人だが、あの情熱の塊みたいな見開いた目、自分の戦術をボードに殴り書きしたり手でスキーを模して賢明に自分の考えを伝えようとするやり方はカリスマコーチ、ペーター・プロディンガーだった。当時、延々と続く彼の理論ミーティングの通訳はかなりハードだった。言葉はシンプルなのだが感覚的表現が多く訳すのに苦労した。ペーターはそれまでの日本のアルペンコーチの常識を覆すようなことをたくさん喋り、その日本語訳は私の口から発せられた。聞いている人が「わかんねーなー」という表情をしたり、首をひねったりしている様子が伝わってきた。ペーターは語り出すと止まらなくなり、熱くなる。目を見開き、顔が赤くなって髪の毛が逆立つような感じで、まるで「バックトゥーザフューチャー」のドクのようになった。(本人は「オレはフリオ・イグレシャスに似てるよな!」と言うのだが…)

“カリスマコーチ”ペーター・プロディンガーはご存知のとおり、オーストリアのSLチームを育て、マーク・ジラルデリをコーチし、日本でも岡部哲也選手をトップスラローマーに育て上げ、最後は日本女子チームがワールドカップポイントをとるまでに成長させた。そんなペーターと無意識のうちに比較して見てしまうのが、現在の男子Aチームのゲオルク・ヘルリーゲルコーチだ。彼は1995年野沢温泉で開催されたインタースキーのオーストリアデモチーム・キャプテンを務めた。F・ホピヒラー教授率いるオーストリアデモは、当時世界最強のカリスマデモチームだった。

この時のメンバー10名の中で、日本で活躍していたベルント・グレーバーが亡くなり、続いてマルティン・グガニックも死んでしまった。今でも頑張っているのは分野こそ違うがリッチー・ベルガーとこのゲオルクだけになってしまったのだ。

このゲオルクが日本チームを率いてオリンピックやワールドカップで、ペーターでも成し得なかった“チーム”として上げたとき、彼はカリスマデモからカリスマコーチとなるだろう。彼は見た目ではペーターのようなカリスマ性は感じられない。でも、ペーター同様、考え方はシンプルだが決してぶれない。だから、彼もカリスマコーチと呼ばれる可能性を十分に秘めていると思うし、ぜひそうなって欲しい。ジャパンのためにも、そして仲間だったベルントやグッギーのためにも。

田和夫
1953年生まれ。現在の日本のスキー界でもっともドイツ語に堪能で、その活動は単に「通訳」という範疇を超えている。言葉だけでなく、心も拾い上げる貴重にして希有なタレントの持主