知のフィールドワーク 32 (スキージャーナル1999.11月号)
ふたりのマルティン夏物語
 7月22日、雷雨の中を、ベネッチアからカプルンへ向かっていたとき、ヨーロッパで使っているエリクソンのケイタイが鳴った。着メロがモーツァルトの『アイネ・クライネ・ナハト・ムジーク』のためかタクシーバスの運転手がチラッとこちらを見た。

 「グッギーだけど、家の改築工事が手間取って、水道関係の納品が今週末になっちゃったんだ。それでどうしても家にいなくちゃならないんだ。金曜の夜はカプルンには残念だけど泊まれない。でも毎日、車で往復するから、レッスンだけは何とかやるよ。ずっと前からニッキー(私の海外での愛称)に頼まれていたんだから……」。
 「うーん、みんなレッスンもそうだけど、夕食を一緒にしたりするのも楽しみにしているんだけど……。まあ、仕方ないや。でも毎日車で往復なんて大丈夫かい」。
 「大丈夫! 片道2時間はかからないから。思いきり飛ばせばね。明日の朝、行くヨ!」。

 7月下旬、名古屋のSさん主催のオーストリア・キッツシュタインホルンの氷河スキー場でのツアーに同行していた私は、最終日2日間の特別講師をグッギー(マルティン・グガニック)に依頼していた。

 翌朝、グッギーは時間どおり、クライスラーの紺のセダンで現われた。そして、約束どおり、夏だというのに、小雪がちらつき、霧の濃いあいにくの条件の中、熱心にレッスンをしてくれた。レッスンが終わると、あわてて家へ戻り、翌日の土曜日もきっちり時間どおりにやってきて、2時間を少しオーバーするレッスンをしてくれた。宿に戻ると、日本から持ってきた国際技術選のVTRを参加者のみんなといっしょに見た。滑りのVTRは、真剣に見ていたが、表彰式の一番高いところで、優勝カップに注がれたシャンペンを飲み干すシーンが出てくると、いつものちょっぴり恥ずかしそうな笑顔を見せた。その後、「恒例」「のサイン攻めにあい、1泊できなかったからといって、普通のサインの他に「珍○具ガ肉」という「スペシャル・サイン」のサービスをしてくれた。 '99の夏、マルティン・グガニックは、カプルンにあわただしく、でも最大限約束を守って2日間来てくれた後、8月末にニュージーランドでのツアーに参加、今頃は帰国して、テニス教師をやりながら、母親のために始めた家の改築工事の完成めざしてがんばっているはずだ。

 8月8日、ドイツ・ヒンターツァルテンでのFISサマーグランプリ・ジャンプ大会第1戦。1日目は世界選手権に続いて団体で地元ドイツチームが優勝。1日目の団体戦も今日の個人戦も1万人以上の観客が入っている。ワールドカップ・フランス大会で不振だったサッカーの人気をそっくり奪い取ってしまったドイツ・ジャンプチーム。観客、関係者、たまたまヴァカンスに来ていて怏トのジャンプなんで珍しいから見てみるか!揩ニ思って来ている人、そしてなんと言っても、たくさんのファン、恍ヌっかけ揩フ人たち。日本チームの追っかけの皆様もこの小さな町に10人以上いらっしゃっていました(もちろん全員若い女性)。その追っかけたちのメインのお目当てが、マルティン・シュミットとスヴェン・ハンナヴァルト。日本だったら、ジャニーズ事務所が欲しがりそうなふたりは、人気もすごいが実力もすごい。ジャンプ会場は、DJがふたり入って盛り上げ、昼はビアホール、夜はディスコになる大テントがあって、スポーツの競技場というより、オクトーバーフェストとロックコンサート会場がいっしょになったような雰囲気。そのおもな「構成員」の「ジャンプ追っかけ」は、日本が女子大生やOL中心なのに対し、ドイツは年齢が下がって、中・高校生中心。でも、髪の毛の色もフツーだし(もちろん、もともと金髪アリ)、変な箇所にピアスもしていなければ、顔の色もブラウンではない(もちろん、もともと色白)。どこにでもいそうな「ノーマル」な女の子たち。8月8日、ドイツ・ヒンターツァルテンでのFISサマーグランプリ・ジャンプ大会第1戦。1日目は世界選手権に続いて団体で地元ドイツチームが優勝。1日目の団体戦も今日の個人戦も1万人以上の観客が入っている。ワールドカップ・フランス大会で不振だったサッカーの人気をそっくり奪い取ってしまったドイツ・ジャンプチーム。観客、関係者、たまたまヴァカンスに来ていて怏トのジャンプなんで珍しいから見てみるか!揩ニ思って来ている人、そしてなんと言っても、たくさんのファン、恍ヌっかけ揩フ人たち。日本チームの追っかけの皆様もこの小さな町に10人以上いらっしゃっていました(もちろん全員若い女性)。その追っかけたちのメインのお目当てが、マルティン・シュミットとスヴェン・ハンナヴァルト。日本だったら、ジャニーズ事務所が欲しがりそうなふたりは、人気もすごいが実力もすごい。ジャンプ会場は、DJがふたり入って盛り上げ、昼はビアホール、夜はディスコになる大テントがあって、スポーツの競技場というより、オクトーバーフェストとロックコンサート会場がいっしょになったような雰囲気。そのおもな「構成員」の「ジャンプ追っかけ」は、日本が女子大生やOL中心なのに対し、ドイツは年齢が下がって、中・高校生中心。でも、髪の毛の色もフツーだし(もちろん、もともと金髪アリ)、変な箇所にピアスもしていなければ、顔の色もブラウンではない(もちろん、もともと色白)。どこにでもいそうな「ノーマル」な女の子たち。

 今回は白馬で9月に開催される第4戦、5戦の各国チームの招聘交渉で来ていたのだが、昨夏の「サマー」で、マルティン・シュミットとは初めて会った。いつも物静かでおとなしいワールドカップ・チャンピオンは、あのステンマルクの存在感に似ていた。  トライアルが終わって、レース・オフィス横にいた私と目が合うと、「また、白馬に行くよ!」と言ってニコッと笑って、柵の外に鈴なりになって「マ〜ティ〜ン、マ〜ティ〜ン」の大合唱のファンのところに行き、サインに応じていた。いよいよ1本目が始まり、一番ラストに「ツィー(ドイツ語で「引く」の意味。もっともっと遠くへ、ねばってねばって飛んでほしいという気持ちが込められている)」と100m付近でランディング。大親友で地元ヒンターツァルテン出身のハンナヴァルトが「ハニー! ハニー!」の声援の中、飛んだ109mという大ジャンプに大きく及ばなかった。ブレーキング・ゾーンから、私のいるレース・オフィス横までスキーを担いで、やってきたマルティンは、自分の不振なジャンプに不満がいっぱいの険しい表情でなにかつぶやいていた。「こんな表情をすることもあるんだ」と思っていたとき、いっしょに来ていた白馬村のMさんが「マルティン、白馬の大会パンフレット用の写真を撮らせて!」と言って、カメラを向けた。我に戻ったマルティンは、あわてて深々とかぶっていたヘルメットを脱ぐと、中から寝ぐせのついたようなボサボサの黒髪が現われた。それを見て柵の外の女子高校生ファンが「キャー」と歓声を上げると、さっきの表情とは一転して、いつものやさしいはにかんだ笑顔になった。

 マルティン・シュミットは、この第1戦の後、フランス・クーシュベルの第2戦、そして今年の「サマー」では、初勝利を挙げたオーストリア・シュタムスでの第3戦の後、白馬と札幌にやってくる。彼の'99夏はヨーロッパでジャンプを飛んで、飛行機で飛んで、また、日本のジャンプ台で飛ぶ。

 この原稿は、9月8日、成田空港へ迎えのために向かう成田エクスプレスの中で書いている。14時55分着JL408便で、マルティンとたくさんの世界のトップジャンパーがやってくるのだ。そして、昨シーズンの国際技術選優勝とワールドカップ総合優勝のふたりのマルティンはそれぞれの'99夏を終えて、次の99/00シーズンへ入っていく。

田和夫
1953年生まれ。現在の日本のスキー界でもっともドイツ語に堪能で、その活動は単に「通訳」という範疇を超えている。言葉だけでなく、心も拾い上げる貴重にして希有なタレントの持主