| 知のフィールドワーク 33 (スキージャーナル2000.3月号) |
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| '99大衝突 |
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| 1999年11月12日 夜 、自宅から何度もインスブルックのYに電話をしていた。それはオーストリアでのツアーの業務確認をするためだった。しかし、いくらかけても話し中。Yの持つ携帯は、ほとんど業務連絡にしか使っていないはずなので、長電話は考えられなかった。 『何かあったのかな……』。いやな予感がした。30分後、風呂から上がってもう一度電話してみた。 「田さん、大変ですよ! グッギー(マルティン・グガニック)とM君がスキーしてて、衝突しちゃって、今、救急車で病院に向かっているんです」。電話の向こうで、Yの今にも泣き出しそうな声がした。「それで、どんな具合なんだ!」。「グッギーは脊髄を2、3カ所やっちゃったみたいで、M君は、あばら3本折っちゃって、肺に刺さってるかも。とにかくスキーができるかどころじゃなくて、普通の生活ができるかどうかも……」。「 とりあえず、病院に着いて、くわしいことがわかったら、もう一度電話してくれ!」。 会社に電話すると、社員のMがまだ残業をしていた。彼のところにもYから連絡が入っていて、Y同様、動転していた。 「とりあえず、家からじゃ国際電話もしにくいし、すぐそっちに行くよ!」。彼にそう伝えると、寝巻をジャージに着替えて、車で会社に向かった。深夜で道路は空いていた。車を運転している20分くらいの間、かなり"ウェット"なことばかり考えてしまった。 "ふたりとも、どうなっちゃうんだろう。もし、半身不随になっちゃたり、肺に傷がついちゃったりして……" しかし、会社に着いて自分の席に着くと、なぜかとても冷静な気持ちになっていた。それは、オリンピック、インタースキー、世界選手権、いろいろな究極の状況を経験してきたからかもしれない。とりあえず、グッギーの次のスケジュールに穴があかないようにすることが最優先だ。遠く離れた日本で、心配だけしていても何の解決にもならないのだ。翌日から八方尾根スキースクールのオーストリア合宿での講師を務めることになっていたため、その代役が必要だった。さっそくリッチー・ベルガーの携帯に電話すると、いつもの低い冷静な声で、 「ニッキー(私の海外での愛称)大丈夫だよ。さっき、(国家検定)養成コースの教官みんなで集まって誰が代わりをできるか、確認したんだ。パスカルならOKだよ。彼の携帯番号を教えるからニッキーから電話してみてくれ!」 と言うと、ゆっくりとケイタイ番号を読み上げた。ベルント(・グレーバー)、リッチー、グッギーという現在の国家検定養成コース教官のほとんどが、ブンデスの、今は亡きホピヒラー教授の教え子である。そして、いつもはバラバラでマイペースな彼らだが、こういう非常事態になると、結束して問題をできるだけ迅速に、冷静に解決するよう努力をする。これもホピヒラー教授の残してくれたすばらしい"遺産"なのかもしれない。 しばらくして、Yから電話がきた。「どうやら、思ったより大丈夫そうだけど、まだなんとも言えません。診断の結果は月曜になるそうです」と言うので、「とりあえず、M君の保険がどうなってるか確認してくれ。それと、まだ最終的な診断が出るまで、こっちからM君の家族や関係者にはあえて連絡しないから。今、伝えても心配させるだけで何にもならないし」と伝えた。(しかし結果として、こちらからは社内とごく一部にしか伝えなかったこの情報は、オーストリアにいたデモのメールであっという間にスキー関係者に伝わり、週末のザウスでは"大衝突"の話題で持ち切りだったそうだ。インターネットの威力はすごい!!) 11月15日月曜 心配で昼飯もあまり食べられなかったが、夜遅く会社にYから連絡が入った。「田さん、ふたりとも大丈夫そうです。グッギーは、脊髄打撲だけで折れてないみたい。明日には退院できるそうです。M君も肋骨は折れてるけど、肺への影響はなさそう。でもこっちは、まだなんとも言えないので、もう少し病院にいて様子をみるそうです」。それは、まずはひと安心というとてもいいニュースだった。その後、スキーで鍛えているふたりは、すばらしい勢いで回復し、12月半ば、M君に電話すると、「もう大丈夫です。ご心配かけました。長野県の合宿にも出ましたし。身体をひねるとちょっとまだ痛いですけどね」と元気そうな声をしていた。 グッギーは、12月27日、今シーズンも恒例の3カ月にわたる長い長い滞日のため成田に無事着いた。「ニッキー、成田エクスプレスで品川まで行けるからわざわざ成田まで来なくていいよ、荷物もそんなにないし」と言われたが、「"タレント"がケガしたんだから"マネージャー"が出迎えるのは当然だろ!」と言い返し、早起きして成田に行った。到着ロビーに出てきたグッギーに「もう大丈夫かい?」と聞くと「背骨はコブを滑ったりするとまだ痛いけど、もともと腰は、いつも痛かったんだから、今度の事故の影響なのか区別がつかないよ」と言うと、いつものとおりニッコリ笑った。その後、会社の近くで大好きな味噌ラーメンを食べてから、ひとりでスキー場に向かうグッギーに「八方に行ったらMと快気祝をやれよ! でもあんまり飲みすぎるなよ!!」と言って送り出した。 このコラムは、現在の情報の速さからいくと2カ月遅れの、まったく古いNEWSかもしれない。ただ、衝突したふたりが本当にダイジョーブだということを充分に確認してから、書きたかったことをお許しいただきたい。そして、このカービングスキーによる高速ターンの正面衝突の映像は、M選手を撮影した長野県スキー連盟のVTRにすべて収まっている。読者の皆さんもぜひ 「セーフティ・コンフォート・チャレンジ」の使い分けを意識して、ケガをしないように、そして、もしもの場合の準備をしてから"カービング"を楽しんでください。 |
| 田和夫 1953年生まれ。現在の日本のスキー界でもっともドイツ語に堪能で、その活動は単に「通訳」という範疇を超えている。言葉だけでなく、心も拾い上げる貴重にして希有なタレントの持主 |