| 知のフィールドワーク 34 (スキージャーナル2001.2月号) |
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| ノルディックワールドカップ渉外ダイアリー・イン・ナガノ |
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| ■1月24日(月) ワールドカップ・ジャンプの選手、役員100名ほどが札幌から白馬に移動。飛行機、バス、新幹線、バスと乗り継ぎして、15:00ころ白馬の宿舎着。すぐに公式トレーニング開始というハードスケジュール。ジャパンとオーストリアとフィンランド以外は同じ宿に。チェックイン後、何人かの選手がわれわれの渉外デスクにやってきた。 「昼食はどうなっているの……?」「羽田から東京駅のバスで配ったサンドイッチが昼食のつもりだけど」「でも、何か食べるものないかな……」。そこで宿に聞いてみると、「夕食から用意してほしいということだったので、何もありません」という返事。しばらくすると、この"腹ペコ軍団"にワールドカップ総合チャンピオンのマルティン・シュミットが加わった。彼は困った顔をして、いつもの低い声でボソッと言った。「でも、オレたちワールドカップの選手だぜ」。このひと言に私はすぐに反応した。同行してきたスタッフのMに「一番近いコンビニに行って、店中のパンやサンドイッチを全部買ってこいヨ!」と叫び、仮払金から3万円渡した。15分後、ほんとうに店中のパンを買い占めてしまったくらいの食料がホテルのロビーのテーブルに山積みされ、さらにその15分後には、ワールドカップ・ジャンプのトップ選手により、そのほとんどが"消費"いや"消化"された。それは"ジャンプの選手はV字になってから、浮力をつけるため減量しているんだ"という噂が信じられないような光景だった。そして公式トレーニングに向かうマルティン・シュミットは、またいつもの笑顔に戻って「ニッキー(私の外国人の間での愛称)、ありがとう。これで腹に力を入れて踏み切れるヨ!」と言った。 FISと組織委員会の間でかわした開催に関する覚書では、招待枠の選手、役員に対しての宿泊代、食事代は組織委員会負担となっている。後日、私どもから白馬の組織委員会(白馬村)宛に出した請求書の中には、バス代やトラックでの荷物輸送費に加えて"食料費"として、この日の"おやつ代"が計上され、白馬のコンビニのレシートのコピーが添付されている。 ■2月8日(火) ワールドカップ・コンバインド野沢温泉大会当日。この日は快晴であったが、日本で初めてスプリント(1日でジャンプ1本とクロスカントリー7.5キロをやってしまうハードスケジュール)が開催されるとあって運営側はピリピリしていた。そして前半のジャンプで、何人かの転倒者が出る中、ノルウェーの選手が立ち上がれないほどのケガをしてN医院へ。渉外スタッフ通訳のFを同行させ、私も競技終了後、ノルウェーのコーチを連れて病院へ。診断の結果、左腿から臀部の強度打撲、腫れて内出血しているため、歩けるが、座れないという状態。もちろんこの後の札幌での大会には出られない。すぐに夕方、翌日帰国できるように、航空券の日付を変更してもらった。そして、次に成田までの輸送手段。なんとか役場のマイクロバスを手配してもらったが、運転手がいない。そこで最後の手段。スキークラブの会長Kさんに頼んで、スキークラブのTくんをなんとか運転手として出してもらった。こちらもほんとうは選手団を運ぶバスと新幹線に同乗するはずだった、前記のFに成田まで同行してもらうことにする。このすべての手配を表彰式、記者会見、パーティと続くスケジュールの合間になんとか完了。 大会の関係者は、表彰式のあたりから、ちらついてきた雪を見て、「ほんとうに競技中は晴れていてよかった。これでどんなにたくさん雪が降ってもいいさ。無事大会は終わったんだから!」と言っていた。でも、私の仕事はまだ終わってはいなかった。ノルウェー選手のケガの件が一段落すると、夜になって、吹雪になってきた天候が心配だった。翌日は、朝7:30に野沢温泉を出発。十二峠を越えて、越後湯沢から新幹線で東京へ。そして羽田から札幌へというスケジュール。朝の通勤時の長野市内の渋滞を考えて、あえて長野発の新幹線にしなかったのだが、この雪では、上越新幹線に間に合うか……。もし間に合わないと約100名の団体券(座席指定)が使えなくなってしまう。そして、その後の羽田から札幌の航空券も……。夜遅く、宿に戻って眠ろうとしたが、外は風も強く、季節はずれの雷も加わり、完全なる低気圧通過パターンで、ほとんど眠れず。 ■2月9日(水) 朝6:00にノルウェーのケガをした選手を見送りに行くと、30センチほどの積雪でまだ雪が舞っていた。7:30無事、選手、役員を乗せたバスは野沢温泉発。幸い雪もやんで、十二峠もチェーンを着けて通過。ほとんどの選手は、眠っているか、ウォークマンを聞いている中、新幹線の発車時刻を知っている私のみ、ハラハラして時計を何度も見ていた。そして発車10分前越後湯沢着。間にあった!! 雪景色から春の日差しの東京に着き、羽田空港へ。搭乗口に並ぶコーチたちに「ありがとう」と言われて握手をされ、私のノルディック・ワールドカップの"仕事"がこのとき無事に終了した。富良野のアルペン・ワールドカップから雫石の世界選手権、長野オリンピックとずっと"渉外"という仕事をやっている。それは、競技以外の部分で選手たちがいかに許される限りの良い条件で大会に臨めるようにしてあげるかということがすべてなのである。 |
| 田和夫 1953年生まれ。現在の日本のスキー界でもっともドイツ語に堪能で、その活動は単に「通訳」という範疇を超えている。言葉だけでなく、心も拾い上げる貴重にして希有なタレントの持主 |